先生、あの話をしてください

津田塾大学で学ぶ私たちのキャリア選択


高校を卒業したら、大学に入ったら、大学を卒業したら、社会人になったら、結婚したら……。人生には常に未来が存在し、未来を選択する際には迷いが生じることも多々ありますよね。現在進行形で何か迷っていることがある方もいらっしゃると思います。
そんな時に参考にしたいのは人生の先輩たちのライフヒストリーです。例えば、普段私達にたくさんの学びをくださる先生は、どのような感情や悩みをもちながら、どのような選択をしてこられたのでしょうか?

今回は、津田塾大学多文化・国際協力学科の丸山淳子先生に、事前にご回答いただいたアンケートの内容を踏まえながら、ご自身の体験や現在のキャリアについて伺いました。先生のリアルな体験談を通して、読者の皆様がご自身の人生の歩み方を考える機会となれば幸いです。

学生時代のエピソード

— 大学在学中は、卒業後に「国際的な仕事に就くことを想像していた」「民間で働くイメージをもっていた」とアンケートで伺っていますが、そのように考えたきっかけはありますか?

大学在学中に文化人類学を専攻していて、国外のことを勉強したのがきっかけですかね。勉強やアルバイト、サークルなどで大学生活を楽しんではいたものの、卒業後の未来に備えて計画的に何かするということはあまりしていなかったんです。大学卒業後について考えないといけない時期になって「文化人類学を勉強しているなら、国際っぽい感じの仕事?」「まぁ会社で働くんじゃないの?」と、のんきに考えていたのが始まりですね。

そのあとは就職活動にきちんと取り組みました。出版やマスコミ業界、国際協力に関するところを中心に志望していたことを覚えています。でも大学4年生になって実習などで就職活動を中断した時期があったこと、就職活動自体に疲れてしまったことをきっかけにやめることにしました。その時までには100社くらい受けていたのに、どこからも来てくださいと言われなかったので「もういいかな」と思って。

 

— 就職活動をやめた後は、卒業後の進路をアフリカ研究に移行することになったと伺いました。当時の心境や決断についてお聞きしたいです。

当時の私は、順調に進むはずの未来がいきなりが見えなくなったような心地でいました。就職活動は全然うまくいかなかったし、やることも決まっていないし、そもそも何をやりたいかもよくわからない。それまでは問題なく歩んでいたはずの人生に、その先の道がないことを急に知ってしまったんです。突然将来が見えなくなってしまったことで「私の居場所は日本にはないんじゃないか」と不安に感じ、どうしたらいいのかもわからず悩みました。

ただ、海外でのフィールドワーク*1はいつかやりたいこととして考えていたんです。大学で学んでいた文化人類学は面白かったし、卒業論文のための調査は日本でやったから、今度は海外でもやってみたいと思っていました。更に親しくしていた先生に調査地としてアフリカを勧められたことも後押しになって、もう少し研究を続けてみようと決めたんです。どうせ日本にいてやることがないなら、とりあえず大学院に行って海外でフィールドワークをしてみようと。まぁ、消去法みたいな感じだったかもしれないですね。
 
*1フィールドワーク・・・研究地域(フィールド)で行う調査活動。 


— アフリカに行くことは物理的にも精神的にも結構ハードルが高い印象があるのですが、先生はいかがでしたか?

高い、高い!高いけど、文化人類学を勉強していると、やっぱりアフリカって面白い地域なんですよ。進学した大学院では専攻がアジア、中東、アフリカと地域ごとに分かれていたんですけど、中でもアフリカ研究の人たちは特に熱心にフィールドワークに取り組んでいる印象で、その環境にとても惹かれたんですね。自分が研究するならここだと思って、アフリカ研究へ進むことにしました。


実は私、高校生の時までいわゆる発展途上国に全く興味がなかったんです。暑そうだし、汚そうだし、辛そうだし、あんまりいいイメージをもっていませんでした。でも大学生になると今度は「かっこいい人はみんな途上国に行く」みたいな空気を感じるようになったんです。先輩から「バックパッカーとして世界一周してみたら世界観が変わった」と聞いたこともあって。その雰囲気にのせられ、私もインドやマレーシアに行ってみて、確かにこれは面白いかもしれないと納得しました。その反面、聞いたほど人生観が変わるというほどではなく……。だから「日本からもっと遠く離れたアフリカなら、何かが見つかるかもしれない」という単純な期待もありました。
そんな経緯で私は大学院に行って、アフリカ研究をしてみようと決めたんです。決心したものの、実際に大学院に合格した時は「私本当にアフリカに行くんだ」と信じられないような気持ちにはなりましたけどね(笑)。

 

— 大学院に入る前と後で、大学院修了後のプランについて変更はありましたか?

入学当初は、フィールドワークを完遂するのに必要な3年間だけ大学院にいようと思っていました。でもフィールドワークを終えてどうにか修士論文を発表してみると、自分の論文に対していろいろな反応をもらえることが予想外に面白かったんですよね。「こういうことをもっと調べたらどうか」とか、「この研究はこの部分が面白い」とか言ってもらえて。自分の調査から何かが生まれていくことに気がついて、その流れを今止めてしまうのはもったいないと感じました。その体験をしたことをきっかけに、もう少し大学院で研究を続けようという気になったんです。今でも、私が大学院を最短期間で修了しようとしていたことを知っている当時の指導教員に会うと「3年で辞めるはずだったんじゃないのか」とか言われますけどね(笑)



人生選択とキャリアについて

— 大学院で博士号を取った後、どうして学生時代に志していた民間への就職ではなく、そのまま研究の道に進もうと思ったのですか?

身も蓋もない話だけど、タイミングですね。大学院の次の行き先を考えている時に、応募していたポスドク*2の申請が通ったので、その流れのままもう少し研究を続けることにしたんです。国際協力の分野で働く道も多少考えましたが、結局は研究に留まることにしました。

ポスドクというポジションで給与をもらいながら自分の研究を自由にできる環境は嬉しかったのですが、なるべく早く働きたい思いはあったので、ポスドクの任期中も仕事は探し続けました。約半年後に、所属していた大学院で研究職のポストが公募されているのを見つけて応募し、幸運にも採用をもらえたんですね。その後、その職の任期満了が近づいてきたので次の仕事を探していたところ、文化人類学と国際協力のどちらも教えられる教員を募集している津田塾を見つけました。この職なら私にあってるかもしれないと思って応募し、採用されて、今に至ります。

なので津田塾での仕事が、私が初めて就いた任期のない職です。こう思い返すと、津田塾に至るまでの道のりはどちらかというと「流された」に近いかもしれません(笑)。あまり自分で大きな選択をした記憶が無くて、どちらかといえばその場その場で決まったことが何となく繋がってきた印象です。当時は津田塾で任期のない職に採用してもらって、安心しました。でも同時に何となく、ぞっとしたことも記憶に残っています。
 
 *2ポスドク・・・ポストドクターの略称。博士後期課程修了後の若手研究者に研究機会を担保するための任期付き研究職ポジション。


— ポストがあって安定した仕事の方が、個人的には安心だなと感じますが、先生は「ぞっとした」んですか? 

確かに私も30代半ばまでは、いつでも路頭に迷いかねないような生活をしていたので「この先、どうなるのかな……」と不安でしたね。一方で、周りに同じような境遇の人はたくさんいたから、そんなものかなという気持ちもあったんです。研究者、国際協力の実践に携わる人も含めて、アフリカに関わる人には任期付きの仕事をしている人が多かったので。

なにより、私が研究をしてきたブッシュマン*3の人たちは「安定した仕事」にあまり価値を置いていなくて、その影響も大きいと思います。彼らはずっと同じ仕事に就くというよりも、状況の変化に合わせてパッパッパッと変えていく人たちなんです。先がわからないことは確かに不安要素ではあるのですが、同時に自由で、ワクワクすることでもあるんですよね。任期のない安定した仕事に就くことで、そういった自由やワクワクも失ってしまうんだと気づいたことが、私が「ぞっとした」理由だと思います。
 
*3ブッシュマン・・・丸山先生のフィールドワーク先であるボツワナの少数民族。



女性としての働き方について

— 津田塾で女性として働く中で、他大学との違いはありましたか。

研究の世界って全体的に男性が多いんですね。例えば私が前にいた職場は、40人くらいの中で女性は私含め3人だけ。でも当時はそのことに疑問も感じず、そんなものだと思っていましたし、女性だから虐げられていると感じるようなことも特にありませんでした。ただ、ジェンダー・バランスを謳って男女比に規定があるような仕事に関しては「自分が女性だからここにいるんだ」ということを感じさせられましたね。かといって違和感があるからと出席せずにいると、女性の意見が取り残されてしまうので難しいんですけど。

津田塾に来てからは同僚に女性が多くなり、自分が女性であることを意識させられる機会が減ったと感じています。「どの役職が女性で、男性で」とか、ここでは誰も気にしていないんです。それに一言で女性が多いといっても、津田塾にはいろんな人たちがいます。結婚している人、してない人、子どもがいる人、いない人、バリバリ仕事している人、今は家庭に重きを置いている人。研究者として働き始めた頃、私は「研究者になるならプライベートよりも仕事に専念しなければいけない」というイメージをもっていました。ところが津田塾に来たら、あらゆるタイプの同僚がいて、それぞれがきちんと研究者として、大学教員として仕事をしている。その姿を目の当たりにして、とてもよい環境だなと思いました。


 

— 家庭と仕事の両立はどのようになさっているのですか?

私は両立しているっているより、どっちも中途半端です!仕事に関して、以前は徹夜で論文を書いたり、フィールドワークに何か月も行ったりしていたんですね。でも子どもが生まれてから同じことはできなくなったので、自然と仕事を切り詰める形になりました。そう考えると、仕事に対する没頭感は10年前と比べてすごく減ってしまったと感じています。かと言って、子育てを完璧にこなしているというわけでもないです。
子育ては、子どもがしっかり自分で生きていけるように、愛されていると実感できるように育てること。仕事は、とにかく穴をあけずに続けること。とりあえず、子育ても仕事もこの最低ラインは何とか維持できるように心がけています。子育て経験のある同僚たちからも「とにかく途絶えずに続けることが大切」と励ましの言葉をもらうことがありますし、理解のある環境はありがたいですね。

— お子さんが生まれたことや環境の変化などを、キャリア形成の観点から見た時に大変だと感じたことはありますか。

出産や子育てといったライフイベントのタイミングによっては、キャリア形成との両立がもっと難しくなっていただろうと思うことはあります。例えば仕事を探している時期や、任期がある仕事についている時期と重なっていた場合、バランスをとることがもっと難しかっただろうと思いますね。今の職を得てから出産を迎えられたことが、結果的には幸運でした。

素敵な笑顔の丸山先生。

— 先生は長い期間ご自身のフィールドに向き合っていらっしゃると思いますが、そこからご自身の人生の中で大事だと感じる学び、気づき、価値観はありましたか。

私がフィールドワークでお世話になっているブッシュマンの人たちは、物事をカテゴリーに当てはめて考えることを嫌がる人なんですよね。例えば、男だからこの仕事をしなさいとか、女だからこの仕事をしてはいけないとか、そういう風にはあまり考えていない感じ。そのおかげで私も「自分を既存のカテゴリーや枠にあてはめて生きていかないといけない」という考えに、強く縛られずに済んだのだと思います。「私が何をしなければいけないのか」よりも、「私が今どうしたいか」を大切にした方がよいのだと気がつくことができました。

日本で生活していると、まず目指すべき未来を設定する、そこからやるべきことを逆算して行動するという一連の流れを求められ、プレッシャーを感じることもあります。その時に、日本から離れた自分の調査地には全く別の価値観があると知っていることは、私を生きやすくしてくれる。日本でブッシュマンたちと同じように生活することは不可能ですが、彼らの生き方自体が私の助けになっているんです。

 

学生へのメッセージ

— 最後に、これから自分の将来選択を控えている学生に対して、アドバイスを頂けますでしょうか。

成り行きに任せて生きてきた私が、学生の皆さんの将来選択にアドバイスできるか少し不安ですが……。

ひとつ、最近気になっていることとして、学生さんたちは大人になると不幸になると思いこみすぎている気がします。「学生である今が一番自由で、好きなことが出来て、卒業後は過酷な日々が待っている」というように、大人の不自由さと学生の自由さを対極のものとしてイメージしているんじゃないかな。でも実際は全然そんなことないと思います。実際には大学生より、働き出してからの方が自由はありますよ。だって大学生の時よりも自分の能力が上がるのだから、できることは必然的に増えますよね。やりたいことをやれる環境も、自力で整えられるようになります。例えば私が今面白いと思っているアフリカ研究も、大学で教えることも、子どもを育てることも、まだ能力が不十分で準備もできていなかった学生時代の私にはできないことでしょう?

学生はすごく狭い、自分の手が届く範囲の中だけで「自分は自由だ」と思っているのかもしれませんね。大人だったら、本当は、仕事をするもしないも自由、どこに行っても自由、結婚も出産も自由なんです。大人になれば、自分の意思でやれることがもっと増えます。だから将来について、自由が失われると嘆くよりも、今よりもやりたいことができるようになるんだという希望をもってほしいなと思います。

 


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いかがでしたか?
丸山先生のお話には、これから私たちが現代社会を生きていくうえで勉強になるエピソードがいくつもあったと思います。大学卒業後のありのままの体験談、女性として仕事をするということ、ライフイベントと仕事の両立等……私たちの未来にも起こりうるさまざまな選択について、お話を伺うことができました。一方で、先生がアフリカで得た人生観のお話は、簡単には経験できない新たな質感をもって、読者の皆様の価値観に新鮮な風を吹かせたことでしょう。
 
学生の間にも、社会に出た後にも、私たちの人生には選択を迫られる場面がいくつも登場します。時には複数の選択肢の間で悩んだり、葛藤を抱えたりすることがあるでしょう。そんな時は一度立ち止まって、身の周りにいらっしゃる人生の先輩方に体験談を伺うのも良いかもしれません。