先生、あの話をしてください

一冊の本を通じて巡りあう —太田真紀さん—

2015年12月26日、本学英文学科の早川敦子先生が、アメリカの思想家Emily R. Grosholzさんによる詩を翻訳した詩集『Childhood —子どもの時間—』が出版されました。優しく温かみのある黄色の装丁と、スノードームの中に舞う雪のような光沢を持った白い帯が特徴的な本書は、見かけた途端に思わず手に取りたくなる美しさです。本を開くと、Emily R. Grosholzさんによる『英語』、早川先生による『日本語』、絵本作家のいわさきちひろさんによる『絵』、村治佳織さんと谷川公子さんが詩から着想を得た『音楽』の4つの言語で、子どもが成長していく姿と、それを見守る母親の優しさが語られています。

この魅力的な本には、どのような意味が込められているのだろうか。そう思っていた時に、この本の装丁のデザインをしたグラフィックデザイナーの太田真紀さんが、今回の本のデザインをきっかけに津田塾大学で特別講義をしてくださいました。ご自身のイギリス留学での体験をもとに太田さんがお話してくださった『イギリスでの日常』は、普段なかなかイギリスへ行くことのできない私たち学生にとって、とても興味深い内容でした。そして、お話を伺っているうちに、今回の本のことはもちろんのこと、太田さんが特別講義を引き受けてくださったきっかけや、津田塾大学に対してどのような印象を持っているかについても気になりました。
そこで、太田さんが本についての話し合いをするために何度も通ったという喫茶店『クルミドコーヒー』で、今回のデザインに対する情熱や、特別講義についてのお話を伺いました。

クルミドコーヒーが結ぶ縁

 -さっそくですが、なぜ今回のデザインを手がけることになったのですか?

「もともと大学生の時に、このクルミドコーヒーでアルバイトをしていました。その時に店員の間で、カフェと文房具って雰囲気がピッタリだよね、という話になったんです。そこから『くるみ文具店』という企画が立ち上がり、有志のスタッフがデザインした便せんや封筒を、お店の一角で販売することになりました。私もその企画に参加して、レターセットのデザインをしたんです。その後、クルミドコーヒーから今度は『クルミド出版』という出版社が生まれました。そして今回、そのクルミド出版から『Childhood —こどもの時間—』のデザインをしてみないかというお話をいただきました。本のデザインは初めてでしたが、何かをデザインするという形でクルミドコーヒーの企画をもう一度お手伝いしたいと思っていたので、喜んで引き受けました。」


「あと、この本の挿絵の作者のいわさきちひろさんの出身地と、この本の印刷を頼んでいる会社があるのが、私の出身地である長野県の松本なんです。そこで、今回のお仕事はとてもご縁があるな、と感じました。」

 

雪原の中に凛と咲く、一輪の黄色いバラ

-今回のデザインのこだわりはどのような点ですか。
 
「この本では、母親の目線を通して子どもの誕生や成長を描くことで、『世界中にいる子どもたちの平和』への願いを込めています。早川先生たちと装丁のデザインについて話し合いをするなかで、その願いを一つのイメージとして表現しようという話になり、この本の57頁にある『一本のバラ』がいいのでは、と考えました。赤いバラだと、『愛』や『情熱』といった強すぎるイメージになってしまうので、『子どもの元気さ』を反映するような黄色いバラに決まりました。本の大きさも、クルミド出版の発行人である影山さんが、手に収まる存在がいいとおっしゃったので、手に取りやすい大きさになりました。
 
表紙の紙は、当初イギリスの紙の商社の見本帳から選ぼうとしました。ですが、スケジュールやロット数の関係で取り寄せるのが難しく、それに近い紙を日本で見つけるために何度も紙の専門店に足を運びました。もともとヨーロッパの紙を参考にしているので、洋書みたいな雰囲気が出ていて気にいっています。

帯に使っている白は、この詩集の最後に収録されている『スノードロップ』という詩からイメージしました。繊細でキラキラとしているけれどシャープなところが、この本の詩にものすごく合っていると思います。それに、新雪のフレッシュで誰も手を付けていないイメージが、子どもの生き生きとした姿と重なるので、帯の紙も雪の表面を彷彿とさせるようなものを選びました。」
 

日常を伝えて、きっかけを作る


 -どのようなきっかけで、津田塾大学で特別講義をすることになったのでしょうか。


「早川先生に、イギリス文化概論の講義を担当していた菅先生を紹介していただいたのがきっかけです。菅先生は、最近の学生が留学へ行きたがらないことを気にかけていて、『ロンドンの日常』を学生に伝えたいと考えていたそうです。しかし、ご自身は仕事や研究で忙しいため、実際のロンドンがどんな様子かを伝えるのが難しいと感じていたようです。そこで、ちょうど私がイギリス留学から帰ってきたばかりだったので、菅先生から『ロンドンの日常』を紹介してほしいと頼まれました。」
 
-確かに、講義では太田さんの学校での様子や、イギリスの公園の風景、家の中といった「日常の様子」を撮影した写真がスライドとして使われていましたよね。
 

 「日常を主題とした講義ということで、自分の学校の卒業制作展や、日常の風景を撮った写真を使いました。でも、講義の後で、もっと改善する余地があったなと思いました。講義が終わってから、講義を受けていた学生さんの何人かと、お話することになったんです。その時に、学生さんたちが『イギリスの中にいるスコットランド人やアイルランド人って、どんな感じですか?』といった、とても素朴な質問をしてくれたんです。そういった疑問って、考えてみると奥が深くて面白いじゃないですか。だから、実際の学生さんの反応を盛り込んで講義を作ったら、もっと私にしかできないような話ができたのかな、と思いました。」

 

違う分野だからこそ、学びあえる

-講義の前後で津田塾生への印象は変わりましたか。


「かなり変わりましたね。私は武蔵野美術大学出身なので、津田塾大学の人と実際に触れあう前は、全く違うエリアの人だと思っていました。けれど、早川先生や、津田塾の卒業生の方と一対一で話してみたら、みなさんハキハキとしていて、とても素敵な方たちばかりでしたね。自分がやりたいと思うことに対してひたむきなところを見て、分野が違っても一緒なんだと感じました。特別講義をした時も、学生のみなさんがすごく熱心に感想を書いてくださって嬉しかったですね。津田塾で講義をしてよかったです。」
 
しかし、特別講義の際の感想を読んで、気になる部分があったといいます。
 
 「ほぼすべての感想の前置きに、『芸術のことはわからないのですが』と書いてあったのを読んで、津田塾生のみなさんと芸術という分野の間に大きな隔たりがあると実感しました。せっかく美術の分野を専門にしている大学と、それ以外の分野を専門にしている大学が近くにあるのに、もったいないですよね。」

「例えば、言語学を専門にしている人と美術を専門にしている人が接触したら、お互いにない考え方や視点を共有できるので、多くのことを学びあうことができるんです。だから、もっと積極的にコラボレーションできる場が増えてほしいです。」
 

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現代においては、毎年何万冊という本が、絶えることなく出版されています。その中で、この『Childhood —こどもの時間—』は、太田さんと津田塾大学を巡り合わせた一冊となりました。そしてこの本には、文学や音楽、そして美術といった様々な分野の人々の技術と情熱が詰めこまれています。まさに時間と手間をかけて丹念に育てられた一輪のバラのような存在となったこの本。詩はもちろんのこと、デザインや挿絵、音楽など、幅広く広がる多様な世界を垣間見るきっかけになるでしょう。