津田塾探訪

津田塾探訪 #10 - 英作文ペーパーの歴史

現在の津田塾大学で、学生が実際に使っている英作文ペーパー。英作文を書き、先生に添削をしてもらいます。

津田塾大学の1、2年生が履修する授業の1つに「Composition」という、少人数のクラスで行われる英語の授業があります。この授業では、毎回テーマに沿った英作文を書き、先生に添削をしてもらいます。英作文を書く際には、市販の原稿用紙やノートではなく、津田塾大学オリジナルの「英作文ペーパー」を使います。なぜ、指定の用紙を使って英作文を書くのでしょうか。

今回の津田塾探訪では、津田塾大学の授業で使われている英作文ペーパーの歴史を紐解いていきます。
 

すべての原点は津田塾創設当時から


津田梅子資料室。昨年10月より、企画展「女子高等教育を拓く-津田塾の原点をたどる-」が開催中です。

英作文ペーパーはいつから使われているのでしょうか。
聞き込み調査をしたところ、その歴史は津田塾大学が設立された1900年代当初から続いていることが分かりました。創立者津田梅子が、『女子英学塾』時代に添削した英作文ペーパーが、星野あい記念図書館2階にある津田梅子資料室に保存されていたのです。津田梅子資料室には、津田梅子が、女子高等教育機関の先駆けとして歴史を拓いた軌跡が分かる資料が数多く展示されています。  


時代を超えても変わらない英語教育

津田梅子が教鞭をとっていた当時の英作文ペーパーは、現在使用しているものとほぼ同じ大きさでした。 

1916年第14回卒業生が寄贈した英作文ペーパー。

この当時から、津田塾大学の英作文ペーパーは、縦長に折って使われています。これは、津田梅子が留学していたブリンマー大学のピジョンホール(「鳩小屋の出入り穴」-先生宛の小さなメールボックスをこのように呼ぶことがあります)に収まるサイズにするためです。

今日でも、学生たちが先生宛のメールボックスに英作文ペーパーを投函できるように、この折り方が継承されています。

 

津田梅子の手書きで、英作文の添削が施されています。

赤字の添削は、津田梅子によるものです。百年以上前の学生も、今の私たちと同じように、先生に英作文を添削してもらっていたのだと思うと、当時の学生が少し身近に感じられるような気がします。

津田塾大学出身の先生に、英作文ペーパーが何十年にもわたり使われている理由を伺ったところ、コンパクトで持ち運びやすく、何度重ねて書いても破れにくい丈夫な紙質だから、という説が得られました。

創立者津田梅子は、「真の教育には、学生の個性に応じた指導ができる少人数教育が望ましい」と説いています。この精神は、津田塾大学の教育精神として長年培われてきました。学生が書いた英作文を、先生が丁寧に添削していくという形で、今もなお津田梅子の教育精神は引き継がれています。



津田梅子が教鞭をとっていた当時の教科書やノート

英作文ペーパーを調査していると、女子英学塾時代に使われていた教科書や1日の予定が書かれた日課表、当時の学生のノートなど貴重な資料が見つかりました。その一部を写真とともにご紹介します。

 

「女子英語学塾記録」明治30年9月以降の日課が書かれています。

1912年第10回卒業生が寄贈した英文法の教科書。細かな書き込みがされています。

1916年第12回卒業生の坂本花代さんが寄贈した女子英語塾授業ノート。流麗な筆記体で英文が綴られています。

ページ右下に、アナ・C・ハーツホンの署名「a.c.h」が書かれています。

アナ・C・ハーツホンは、米国ブリンマー大学のキャンパスで留学していた津田梅子と出会い、津田塾の創設期を支えた女性です。来日して無給で英語を教え、関東大震災で灰塵に帰した女子英学塾再建のための募金活動に尽力するなど、津田梅子のよき理解者、協力者として塾の運営に多大な貢献をしました。津田塾大学の入学式や卒業式で歌われる愛唱歌「アルマ・マータ」の作詞者としても知られています。

「アルマ・マータ」については、津田塾探訪 #7 - カレッジ・ソング 'Alma Mater'も是非ご覧ください。

 

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津田梅子が創り上げた古き良き伝統は、津田塾大学オリジナルの英作文ペーパーを使った授業を通じて、今日も学生たちに継承されています。2017年の千駄ヶ谷キャンパス総合政策学部開設を控え、今回の取材を通じて私達は、今一度津田塾大学の原点を見直すことができました。

次回の津田塾探訪もお楽しみに!



 

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