人生と学び

芯を貫く、妥協しない生き方 藤波伸嘉

津田塾大学と言えば英語。そんなイメージが定着しているこの学校で、イスラームを教えている藤波伸嘉先生。2014年から勤務している先生ですが、英語と縁の深くない自分がまさかこの学校で働くことになるとは夢にも思わなかったそうです。そんな藤波先生はどのようにして現在の研究分野と出会い、『津田塾大学1年生』としてこの1年をどう過ごしたのでしょうか。第3回は、歴史学が専門で、穏やかな笑顔が魅力の藤波伸嘉先生にお話を伺いました。

津田塾大学1年生

-藤波先生と津田塾大学との出会いはどのようなものだったのでしょうか。

「津田塾大学との出会いは、別の大学で1年ほど研究員をしていたある日、津田塾大学の公募を見つけたことでした。津田塾大学を初めて訪れた日は忘れもしません。面接試験のために蒸し暑い七月末に新小平駅から来たのですが、そこで道に迷いまして(笑)。着いた時には試験前なのにすでにへとへとでした。」

-2014年度から津田塾大学で働き始めた藤波先生。「津田塾大学1年生」としてこの1年間を一つひとつ思い出しながら語っていきます。

「この1年間は『手探りの1年』でした。僕自身、専門分野の授業はやったことがありますが、学部時代にセミナーというものがなかったため、セミナーの運営は試行錯誤の連続でした。セミナー運営の向上は今年度の僕への課題ですね。ですが学生や同僚の先生も素晴らしい方が多く、女子大という初めての環境でしたが、すぐに馴染むことができました。また教師という職でしか味わえないやりがいや充実感を感じることができたので、この1年間は本当に楽しく働くことができました。」

何かを成し遂げること

「高校時代、文理選択の際に自分が好きな事は何かと悩んだ経験があります。その際に世の中について考える時、自分は制度や物質よりも人の動きに着目して考えることが好きだと自覚し文系を選択しました。大学には人の動きに着目した研究をどの分野でやるかを見つけるために進学しました。入学してまず始めたことは読書でした。僕の場合、高校までの環境であまり本が充実しておらず、加えて大学に入学すると、入学前からすでに流行の学術書を読んでいるような同級生が多くいました。だから負けじと図書館にこもって分野を絞ることなく本を読んでいました。まさに『本が友達』と言えるほどでしたね(笑)。こう言うのも何ですが、自分は授業からというよりも本から刺激を受けていました。だから大学入学を機に始めた読書によって興味の幅を広げていきました。」

-先生は、セミナーの授業でも分野に偏りがでないように専門地域の本に限らず、日本史など様々な本を紹介していましたが、そのルーツはここにありました。しかし、興味の幅を広げるための読書が、次第にある問題を生じさせるようになりました。

「3年に進級し、いよいよ興味分野を絞って研究テーマを見つけていくのが普通なのに、僕は特に興味分野を絞ることなく、逆にあれもこれも面白いって興味の幅を無制限に広げていたんですよ。一見たくさん勉強しているように見えますが、何をしても面白いって、何かを成し遂げていることにはならないんですよね。興味の幅を広げても、分野を絞れていないため、一つのことをきちんと研究できていなかったんです。」

-自分の興味の幅を広げる一方で、なかなか分野を絞れないという葛藤があったと言いますが、当時を懐かしむその声は明るく弾んでいました。

「そんな中で多くの本を読んでいくうちにどうも西洋中心主義的だったり、日本との比較ばかりが書かれている本が多いなと思うようになっていきました。そこで日本人が日本のことをやっても面白みがなく、またヨーロッパ史もすでに研究されているから、イスラームやオスマンに興味分野を絞り始めました。若気の至りですが、まだ知られていない分野で、高校時代に思った人の動きや考え方に着目した研究をやろうと思ったんです。加えてトルコ語を第3外国語として履修していたことも縁というか(笑)。決定打になるものはこれだと言えませんが、それまでの積み重ねがあったからこそ、今の研究分野を見つけることができたと思いますね。」

本は道具となる

−大学卒業後は研究を続けるため迷わず大学院に進学した藤波先生はそこで現在の研究者人生に繋がる出来事に出会います。

「修士課程でまずやったことは卒業論文の発表でした。それが結構きついもので、修士課程の先輩だけでなく博士課程の先輩など、その道のプロの方々の前で発表しなければいけないものだったんです。そこで自分がいかに何もできていないかを思い知らされました。所謂洗礼を受けたんですよね。だけどそこから研究者としての自覚が芽生えました。」

「それから変わったことは学部生時代から続けていた読書でした。学部生時代は一般的読書人として教養や知識を増やすことを前提に読む方法をとっていましたが、それではいくら読んでも教養しか得られません。研究者として本を読むということは本を一種の道具として捉え、いかに論文の素材として読むことができるかということです。修士課程は研究者として重要な2年間になったなあと思います。」

−卒業論文のテーマを修士課程で継続する方が多い中、周囲の反対を押し切り現在のテーマに変える選択をしました。その思いを語る表情からは普段の先生ではなく、自らの研究には一切妥協しない研究者としての一面がうかがえます。

「卒業論文は、1920年のトルコ独立戦争時を背景に国民、民族概念がどのように形成されたかがテーマでした。ですがそこで痛感したのは、それ以前の時代のことを知らないとだめだということでした。その時代は1908年の革命から新国家樹立まで連続性があるため、契機となった1908年の青年トルコ革命当初までさかのぼり、その時代から考えていく必要性があると感じたんですよね。新たに研究を始めるので苦労が目に見えているため、周囲にテーマを変更することを反対されましたが、そこだけは自分の研究のためにどうしても譲れませんでした。」


現地の水を飲む

「留学直前は初めてということもあって不安だらけでした。でもトルコでの日々は苦労もありましたが楽しかったです。生活面ではトルコに来た直後にここ30年で1番くらいの物価上昇が起きて、通貨のトルコリラが跳ね上がったんですよ。加えて円安も起きてしまって金銭的には厳しかったです。それから断水や停電もよくありましたね。でもトルコ料理がとても美味しかったことが救いでした(笑)。トルコは安い値段で日本以上に豪華で美味しい料理が出てくる国なんですよ!

「研究面では僕はイスタンブルにあるボアズィチ大学に留学しました。そこでは図書館にこもって1908年から1914年までの約10社の新聞をひたすら読む生活をしていました。日本でも新聞によって主張することって違いますよね。当時もそうで、そこから国民、民族概念を分析し、さらに進んで議会や憲政全般に関する史料を集めていました。」

-トルコで買ったというマグカップに懐かしそうに顔をほころばせる先生からは留学の思い出がより一層伝わってきます。そんな藤波先生にも一つ心残りがあるそうです。

「留学ってどうしても学問が第一目的になってしまいますが、それだけだともったいない気がします。大事なのはそこにいることを活かし、現地の水を飲むこと、つまり現地に馴染む、これを大切にすればより留学を実りあるものにできると思います。実は僕は、環境が違うため新たな交友関係広げるのに苦労したり、研究に没頭してしまったりと、そこを疎かにしてしまった経験があって少し後悔してるんですよね。皆さんの留学が有意義なものになることを願っています。」



限界を取っ払う

-最後に「津田塾大学1年生」として学生へメッセージをくださいました。

「津田塾大学の学生は真面目な方が多いです。どの学生も課題に一生懸命取り組みますし、モノの見方がまっすぐです。しかし、どこかで自分の限界を設定しているなと感じることがあります。僕も留学の前に自分で限界を設定して留学を怖がっていました。ですが大切なのは自分がどうあるかだと思います。自分の心持ちをしっかりしていれば壁にぶつかってもきっと乗り越えることができると思います。皆さんは自分達が思っているよりも遥かに高いポテンシャルを持っています。だから外の環境に身を置いて自分の限界をなくして戦ってほしいです。」