わたしと津田塾大学

わたしと津田塾 #7 - 「時を越えて学び続ける姿勢」

飯野 朋美先生(ライティングセンター)

津田塾大学を卒業して、現在までの経緯を教えてください。

津田塾大学英文学科を卒業した後、外資系の製薬会社に10年間勤めました。配属先の広報課では、社内報制作を担当しました。社内の出来事を取材したり、社長やスイス本社の会長のインタビューをしたりして、記事を編集しました。仕事は充実していましたが、学部を卒業するころに思った「アメリカ研究を続けたい」という願いを叶えるために、退職して津田塾大学大学院に入学しました。現在はアメリカ研究を進めながら、津田塾大学内にあるライティングセンターで、文章の書き方についての個別相談を担当しています。

津田塾大学で、最も印象に残った講義は何ですか。

学部2年生のときに受けた、「表現法AⅡ(現:アカデミック・ライティング)」です。トピック選びやアウトラインの立て方、参考文献の引用の仕方など、英語での論文の書き方の基本を、1年間かけて学びました。毎週課題があって、図書館で英語の文献を探しては読んで考え、と繰り返していました。大変だった分、1500 wordsのResearch Paper(英語の論文)を学年末に書き上げたときの達成感は大きかったです。クラスの仲間でケーキを持って担当してくださったカナダ人の教授の研究室を訪ね、皆でお祝いをしたことが思い出に残っています。この時に「知ること」の楽しさを知ったことが、その後の研究や仕事につながっていると思います。
 また、この表現法AⅡで学んだ文章の書き方の基本が、ライティング・センターでの仕事でも活きています。英語であっても日本語であっても、文章を作っていくプロセスの基本は同じです。相談にくる学生の皆さんに「基本的なこと」が伝わるようにアドバイスをしています。
 

どのような研究をしているのですか。

主にニューヨークに渡った日本人について研究しています。カリフォルニアなど、西海岸に渡った日本人移民については研究が多いのですが、アメリカ東部に渡った日本人移民の研究は少ないのです。20世紀初めにニューヨークに移住し、そこで生活した人々に光を当てたいという思いで研究しています。また、移民関係の本を翻訳するプロジェクトにも参加しています。明治時代にニューヨークに渡った日本人の親族の方にお会いする機会もありました。これまで資料と本でしか知り得なかったことを、「生きたもの」として実感できた貴重な経験でした。

先生が知っている津田塾大学の「言い伝え」について教えてください。

 大学のすぐ隣を流れる、玉川上水の遊歩道の2つの呼び名です。1つ目は“Lovers’ Lane”(恋人たちの道)で、「津田塾大学から一橋大学小平分校へと続く道」を、2つ目が“Philosophers’ Lane”(哲学の道)で、「大学から鷹の台駅まで続く道」を指しました。物思いに耽りながら、一人で考えて歩く道です。諸説あるようですが、私たちのころはそのように言われていました。 Lovers’ だけでなく、Philosophers’ があるところが、「津田塾大学らしい」と言えますね。

 

ライティングセンターの机にある小物たち。飯野先生と共に、訪れた学生を迎えてくれます。

津田塾生へのメッセージをお願いします。

 「可能性を限定しないで」ということを伝えたいです。「英文学科だから」「理系だから」というように、学科や専門にとどまることなく、色々な可能性を見つけて欲しいと思います。その「可能性」に出会うためには、様々なことに興味を持つことが大切です。恩師の飯野正子先生も「いつもアンテナを張っていなさい」とおっしゃっていました。そうしていると、いろいろな物ごとがつながって、「これだ!」とビビッと来る瞬間があります。たとえ今、興味の持てることがなかったとしても、目の前にあることに一生懸命取り組むことが、その瞬間に出会える一番の近道です。

また、津田塾大学は小規模な学校です。そのため、教職員との距離が近いです。学生の頑張りを見守り、認めてもらえる距離の近さが、津田塾大学の魅力だと思います。このような恵まれた環境の中で、ぜひ何かに一生懸命に取り組んで欲しいと思います。