津田塾探訪
津田塾探訪 #1 - ハーツホン・ホール
津田塾大学本館(ハーツホン・ホール)
緑あふれる玉川上水沿いの道を抜けて津田塾大学小平キャンパスの正門に立つと、目の前にあらわれる凛とした美しい建築。みずみずしい姿を保ったクラシカルな建物を見て、思わずタイムスリップしたかのような感覚を味わう方も少なくないかもしれません。津田塾大学のシンボルとも言えるこの本館(ハーツホン・ホール)は、建造から80年以上が経過した今も、現役の校舎として日々授業が行われ、学生の学び舎として愛されています。
では、その内部はどうなっているのでしょう。津田塾大学の歴史とともに、「ハーツホン・ホール」の内側へ、みなさんをご案内しましょう。
和洋折衷の建築
津田塾大学本館は、小平キャンパスで最初の校舎として建築されました。設計は早稲田大学大隈記念講堂などを手がけた佐藤功一によるもので、1930年に着工、1931年に竣工しました。校舎は、一部4階建てを含む3階建て。完成を祝う式典には約350人が参加し、荘厳に執り行われました。式は二部に分かれ、第一部はキリスト教式による献堂式、第二部は落成式でした。当時の文部大臣鳩山一郎の祝辞をはじめ、名士の祝辞が続いたそうです。
デザインは、タイル貼りの洋式建築に和風の赤い瓦屋根を載せた帝冠様式。近代的かつ繊細な佇まいや、各教室の梁などに施された流麗な装飾に、当時の学生たちは胸を高鳴らせました。
職人の技が冴えるなめらかな石製の階段の手すりや、細かい気泡が味わいを生む1930年代から変わらない窓ガラスなどは、今でも思わずみとれてしまうほどの清潔な美しさがあります。また、いくつかの教室では教室番号を書いた木札が当時のままかけられているのを見ることができます。
校舎再建に尽力した梅子の親友
しかし、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。麹町にあった津田塾大学の前身・女子英学塾は、1923年に発生した関東大震災により校舎を焼失しました。このとき、アメリカに渡って寄付を募り、校舎再建に尽力したのが英語教師のアナ・コープ・ハーツホンでした。津田梅子のよき理解者であり、後にこの本館校舎の名称の由来となる女性です。
ハーツホン先生の言葉に尽くせないほどの努力によって建築資金の寄付が集まり、震災以前からの計画に基づき小平にキャンパスを移転。そうして完成したのが、この本館校舎です。創立者の津田梅子は、本館校舎の完成を待たずに1929年8月に逝去。本人の遺志により、キャンパスの一角に墓地が設置され、今も学生たちを見守っています。
時代の渦の中でも変わらないこと
1940年代に入ると、戦争の足音が近づきはじめます。一時帰国のつもりでアメリカへ戻っていたハーツホン先生は、再び来日することを許されずそのまま学校を去ることになりました。太平洋戦争突入後は、教育の根幹である英語教育にも見直しが迫られました。それでも学生たちは気丈に学問を続けました。あらゆる金属が戦争のために供出されていた時代にあって、授業のはじまりや終わりをつげる大切な半鐘が今なおそのままの姿で残されていることに、当時の先生方の強い意志を垣間見るような思いがします。
ハーツホン先生が、1957年に97歳で天寿をまっとうされると、同窓会は大学理事会に本館校舎を「ハーツホン・ホール」と名付けることを申し入れ、承認されました。本館校舎の正面玄関右側の壁には、「ハーツホン・ホール」という名称の由来を記した青銅のプレートが今も掲げられています。
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細やかなメンテナンスで変わらぬ面影を守る
2001年に「ハーツホン・ホール」は東京都選定歴史的建造物に指定され、2003年には、本館の瓦すべてを葺き替えました。使用された瓦の数はおよそ3万枚。「塩焼き瓦」というもので、建築当時は一般的な瓦でしたが、ほとんど生産されなくなっていたため、特別に注文されました。塩焼き瓦は、焼きあがりの際に生まれる独特の色ムラが特徴でしたが、技術の進歩によりほぼ均一の色に焼き上がるようになっていたため、あえて異なる色を数種類発注し、ランダムに配置しました。
建物の安全性を保ちつつ、創建時の面影を残す工夫は随所で行われており、窓をアルミサッシに変更する際も、オリジナルのデザインを再現するために特注しています。
津田塾大学の象徴として
ずっと以前に卒業されたOGがキャンパスを訪れ、昔と変わらぬ「ハーツホン・ホール」の姿を嬉しそうに眺める姿を見かけることもあります。また、卒業式の際に、毎日正門をくぐるたびに見上げていたこの建物を背にしてはじめて卒業の実感がわいたという先輩も多いと聞きます。それだけ津田塾生にとって、学生生活の思い出と分かちがたく結びついているのがこの「ハーツホン・ホール」なのです。
現在の「ハーツホン・ホール」は、古き良き佇まいはそのままに、インターネット回線の敷設、プロジェクターや大型モニター、スクリーンの設置など、今の学びにあった環境も整えています。また、エレベーターの導入やバリアフリー化も、時流に合わせて柔軟に取り入れてきました。
長い年月を経ても変わらずそこにあり続けるために、ときには少しずつ新しくなることも大切だと、「ハーツホン・ホール」は私たちに教えてくれているのかもしれません。皆さんも、小平キャンパスにいらした際は、ぜひ「ハーツホン・ホール」に流れる歴史と想いを感じてください。