梅いち凛 ~咲いた津田塾生~

視覚障害とともに生きる - 中川美枝子さん 前編

三年前の入学式、壇上で自己紹介をした彼女は、津田塾大学では数少ない、視覚障害を持った新入生でした。衆目を集める中、同年代の彼女が大きな声で堂々と話す姿を見て、素直にかっこいいと思ったことを今でも覚えています。
その後の三年間、私は中川さんと、一年ゼミや三年ゼミ、ドイツ語のクラスをともに過ごしてきました。授業前の休み時間、キャンパスの移動中、鷹の台駅までの帰り道など、中川さんと話をする機会は多々ありましたが、彼女の視覚障害に関して改めて聞いたことはあまりなかったかもしれない、と私は近頃思っていました。次の春には四年生、授業の数も減り、今以上に話す機会が少なくなるかもしれないと思い、この度中川さんにインタビューを申し込みました。
取材中、視覚障害者の方からこんなにじっくり話を聞ける機会もそう多くないからと、ついたくさんの質問を投げかけてしまったのですが、中川さんはどの質問にも丁寧に答えてくれました。そんな彼女の言葉と思いをできる限り伝えたいと思い、今回のインタビューは前編・後編の二本立てとなりました。
前編では、中川さんと津田塾大学との出会いや、今までの学生生活について伺っていきます。

 

目の見えない津田塾生


—そういえば、今までちゃんと聞いたことってなかったな……。スヌーピーってどうして目がみえなくなったの?

「私の場合、両目がいきなり見えなくなった訳ではないんだよね。生まれてから元々目に病気があって、最初に失明したのは右目で、それが0歳の頃。左目の方は、治療して一応視力が残ったんだけど、小学校四年生の時に病気が再発しちゃって……。それで、今みたいに全盲になった。だから保育園と小学校は一般のところに行ってたのね。見えなくなってからは、市の介助員さんに助けてもらって、何とか小学校卒業まで通ってた。中学校、高校は盲学校。」

—そして津田塾に、って流れだね。どうして津田塾を受けようと思ったの?

「私、中学校の頃から、高校の英語の先生になりたいと思っていたんだよね。だから英語教育で有名な大学をいろいろ調べて、津田塾はずっと視野に入れてたのね。本格的に受験を考えたのは、高校二年生の時。当時、英語の家庭教師の人についてもらっていたんだけど、その先生は私の盲学校の先輩にあたる人で、津田塾の受験経験があったんだよ。偏差値や知名度だけじゃなくて、優秀な卒業生がいっぱい出てるからすごくいいよ、って勧めてくれた。あと、オープンキャンパスや受験の時に、教職員の人の対応が温かくて緊張を和ませてくれたって聞いて、『津田塾っていいところなんだな』って印象を持ってたっていうのもある。」
 
「最初は英文科志望だったんだけど、オープンキャンパスに来て国際関係学科のことも知ってからは、そっちに切り替えた。英語だけじゃなくていろんな国の文化を勉強してみたいって気持ちもあったんだよね。」

—受験って私たちとは別対応になるよね?受験当日のことって覚えてる?

「試験監督以外に、お手洗いとかのためにもう一人事務職員さんがついてくれてたよ。他の大学の時と違って、試験の間の休憩時間に監督の先生や事務職員の人と雑談してた。何というか、事務的じゃなくて、温かみのある対応って感じだったのね。職員の人たちも学校のこと全体的によくわかってるし、本当に津田塾のことが好きなんだな、って感じるところがいっぱいあったな。」
 
 

「人に恵まれている」

キャンパス内の移動には、学生が付き添います。

—スヌーピーは学生と触れ合って、一緒に過ごす時間が多いよね。スヌーピーから見て津田塾生ってどんな人たち?

 
「私ってどうしても人に助けてもらうことが多いじゃん。そういう時、決まった子と一緒になるのって、ありがたい反面ちょっとしんどいこともあるんだよね(笑)。でもここでは、私のことを誰かに押し付けたままにするんじゃなくて、皆気づいたら動いてくれる。津田塾ってそういう子が多いと思う。それこそ私たちのゼミでも、中川担当、みたいな子ってあんまりいないよね。それって私としては精神的に楽なんだよね。あと、皆あまり甘やかしもしない(笑)。自分のことは自分でやれ、みたいな。もちろん皆も自分のことは自分でやってるし、自立してる印象がすごく強いかな。」
 
—私は三年生になってからスヌーピーと二人で帰る機会が増えたけど、周りに誰もいなさそうだし私がいこうかなって、気軽に声をかけた気がする。多分皆もそうじゃないかな。
 
—スヌーピーが思う津田塾の良さって何?スヌーピーだからこそ分かることもあるのかな。

「うーん、これは現実的な話になるけど……。津田塾って、バリアフリーという点では全然整ってないんだよね(笑)。段差多いし点字ブロック無いし、私一人じゃ歩けないくらい。だけど、設備は整っていなくても、どうしたら環境を良くできるだろう、今できることは何だろうって考えてくれる人がたくさんいる。一時期、教室のドアノブに毛糸付いてたの覚えてる?部屋の番号や教室の位置がわかる目印を自分たちで作ろうって話になって、私と支援室の職員さんで付けたんだよ。手作りなんだけど、ちょっとでも良い環境にすることを一緒に始めてくれる人がいることが、津田塾のいいところ。人にすごく恵まれている。支援室も、学生ボランティアを募って活動してくれてたりするしね。その一環として、授業で使う映像教材に解説つけてもらったりしてる。ボランティアの子と一緒にDVD見て、字幕読んでもらって、情景描写してもらって……。これも地道な手作業って感じだよね。こんな風に手作り感ある温かいサポートをしてもらってます。」

 

モンゴルの盲学校へ

ウランバートルにあるラマ教の寺院、ガンダン寺の前にて。モンゴルの冬はとても寒く、この日の最低気温は-18度だったそうです。

—スヌーピーの大学生活はたくさんの人に支えられてるんだね。もう大学生活も長くなるけど、この三年間、スヌーピーは本当にいろんなことやってきてるよね。長期休暇にはよく海外行ってるし。特に一年生の時、モンゴル行ってきたって聞いて驚いた!何でモンゴル?って。


「あ、それは一年生の冬だね。知り合いの盲学校の先生に誘われて行ってきた。そこの学校とモンゴルのウランバートルにある盲学校が数年前から交流があって、お互いの学校の先生が行き来してたんだって。でもそこに在学中の生徒を連れて行くのは難しそうだったから、既に盲学校を卒業していて、大学で海外のことを勉強している私に白羽の矢が立ったみたい。当時海外行った経験も無かったし、その機会逃したら誰かに連れていってもらえることなんてないだろうし、何も考えずに『行きます!』って言っちゃった(笑)。」 

—モンゴルの盲学校か。当たり前だけど、モンゴルにも視覚障害を持つ人はいるよね。日本ならともかく、外国となるとうまく想像できないな……。モンゴルの視覚障害者事情ってどんな感じ?

「それが、ウランバートルみたいな都会でも全然点字ブロック無いし、一人じゃ出歩けないよ。絶対介助がいる。しかもモンゴルって面積がすごく広いし、盲学校になかなかアクセスできない子がたくさんいるらしいんだよね。元々社会主義国だったから、お金は国からすごくもらえるらしいんだけど、就職もかなり限られてる。もちろん日本だってそうだけど、モンゴルはそれ以上にね。」

—モンゴルでの生活で大変だったことは?

「モンゴルは信号がちゃんと整備されてないから、道路で車がすごく飛ばしてくるし、冬だったからアイスバーンになってる所もあって、車道の横を通ったり、道を渡るのが怖かった……。横で急ブレーキかける音とか聞こえてさ。私生きて帰れんのかな、みたいな(笑)。もう見えてる見えてないの問題じゃない危なさだったよ。でも現地の人は、車の間縫って渡っていっちゃうんだよね。」

 

ドイツでのハプニング

—二年生、三年生の夏は海外の語学研修に行ってたね。去年がカナダで、今年はドイツだっけ。

「モンゴルに行けたのはいいけど、もうちょっと自分がよく知ってる国に行きたいと思ってたんだよね(笑)。英語はもちろん、三年間勉強してるドイツ語も実際に使ってみたかったし。カナダはマギルプログラム(注:津田塾大学が行っている夏期語学研修プログラムの一つ)に参加して行ってきた。とりあえず大学がバックについてる所に行けば何とかなるだろうと思って。でもドイツの時は大変だった……。自分で語学学校をいろいろ探したんだけど、なかなか受け入れてくれる所が見つからなくて。すごく困ってたら、私の盲学校の先輩で、昔ブレーメン大学に留学してた人がいたのね。その人に聞いたら、ブレーメンの語学学校と、私の面倒を見てくれそうな友達を何人か紹介してくれた。それで、その先輩の名前を出して語学学校と連絡を取ったら、『視覚障害の専門じゃないからできることに限りはあるけど、いいよ』って言ってもらえたのね。ようやく見つかった!って安心したよ。」

—ドイツで過ごして、特に印象に残ったことってある?

「電車で乗り過ごしたことかな(笑)。ブレーメンからデュッセルドルフに行く用事があって、一人で電車に乗ったのね。乗り降りの時だけは、ボランティアのガイドさんにお願いして手伝ってもらって。でも、そのデュッセルドルフの駅ってすごく大きいから、人の乗り降りが激しくて。だから私が下手に降りようとしたらガイドさんに見逃されちゃうかも、って思って、自分からは降りようとしなかったの。多分ガイドさんが迎えに来てくれるだろうって期待してたんだけど、ドアが閉まってそのまま発車しちゃった(笑)。それで青ざめた顔してたら、隣の席の人が、『君は今降りたかったんだね?』って事情を察してくれて。通りかかった乗務員さんに訳を話して、次のケルンの駅で私がデュッセルドルフ行の電車に乗れるように手配してもらったんだよ。」 

ブレーメンで知り合った全盲の女性からのプレゼント。ビーズでできた点字はドイツ語の「dankbar」(英語のthankful)を意味しています。

「日本では駅員さんが電車まで乗り込んでくれるけど、ドイツのガイドは鉄道会社の所属じゃないから、無許可で電車に乗っちゃいけないんだよね。チャリティーとか教会付属の団体だったりするから。私それを知らなかったんだよね……。その後、怒られたのは私だった(笑)。何で自分で降りなかったの!って。もし日本だったら、ちょっと気を利かせて駅に連絡してくれたりするんじゃないかなあ、とか思っちゃった(笑)。多分、ここまではやるけどそれ以上はしないって、仕事のボーダーラインがはっきりしてるんだろうね。」

—それは、良くも悪くもドイツ人らしいということなのかな(笑)?私も語学研修でオーストラリアに行った時、やっぱり電車に乗るのは不安だった。初日に、どの電車に乗り換えればいいのか分からなくてあたふたしてたら、近くにいたおばさんが駅員さんのところに連れていってくれたんだよね。あの時は声かけてもらえて嬉しかったな~。

「日本だと、皆声かけていいのかなってすごく戸惑ってるように感じるんだよね。ドイツやカナダでは、どうしたの?って普通に声かけてくれた。それに、私から声出してもいいんだよっていう雰囲気があったかな。日本では、ここで声出したら私空気読めてない人みたいだな、って思っちゃうこともある。静寂を破る罪悪感というか……。あっちではあまりそう感じなかった。もちろん、困ってるなら困ってるって、自分から声出さないと置いていかれるって危機感もあっただろうけど(笑)。」


カナダでのフェアウェルパーティーの様子。

ブレーメン留学をコーディネートしてくれた方の自宅にて。


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編集後記

今回中川さんには、津田塾大学に対する思いや、海外への留学など三年間の様々な経験について、たくさんのお話を聞くことができました。ここには載せきれませんでしたが、盲学校の先輩の方に頼まれて、アジア地域の視覚障害者に関する英語情報誌の翻訳に携わった、というエピソードも印象的でした。
インタビュー後編では、視覚障害を持ちながらも、何事にも積極的に取り組む中川さんの原動力、そして視覚障害を持っているということに対する中川さん自身の思いについてお聞きしています。どうぞお楽しみに。

2017.3.17 後編公開しました。こちらからどうぞ。

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