梅いち凛 ~咲いた津田塾生~

視覚障害とともに生きる - 中川美枝子さん 後編

中川さんへのインタビュー、後編になります(前編はこちら)。
三年間の学生生活で、様々な経験を積んできた中川さん。目の見えない彼女は、私たちが当たり前にできることでも、苦労することが多々あります。それでも中川さんが何かを成し遂げていくたびに、私はいつも「目が見えていないのに、なんでここまで活発的になれるんだろう」と不思議に思い、今回、彼女の原動力について伺ってみました。しかし話が進むうちに、以前は見えてこなかった、彼女のコンプレックスや後ろ向きな部分が明かされていきます。
このインタビューを通して、中川さんの姿がより鮮明になり、彼女をもっと身近に感じられるようになった気がします。終盤には、視覚障害者である中川さんに、「視覚障害を持つ」ということをどう思っているのか、どのように受け止めているのか、率直にお聞きしました。
 
 

世代を超えた「先輩」

—三年間を振り返ってきたけど、いろんなことやってきたね。でも視覚障害というハンデがある中で、ここまで活動的でいられるエネルギーってどこから来てるの?ずっと気になってた。

「そうだな……。今までの話に出てきたように、やっぱり視覚障害者の先輩の存在がすごく大きいと思う。盲学校にいた時に、先輩たちの中には『視覚障害者にはできない』とか、『視覚障害者お断り』って言われていたことをできるようにしてくれた人がいっぱいいる、ってよく聞かされてたんだよね。例えば、大学に進学すること一つとっても、最初にできるようにしてくれた人がいる訳で、点字で入試が受けられるようにしてくれたり、時間がかかるから試験時間を延長してもらったりね。点字の教科書を大学側からきちんと提供してもらえるようになったのも割と最近のことだし、今私が当たり前にできることって、その先輩たちがいたからこそなんだよね。だから、自分はすごく恵まれていて、その恵まれた環境を活かさないといけないっていう思いが、常に心のどこかにあるんだと思う。」

—「先輩」といっても、単なる縦の関係じゃなくて、大分幅広い世代でつながってるよね。

「ドイツ留学を手助けしてくれた『先輩』だって、父親世代の人だったしね。私の出身校は小さな学校だったから、先輩後輩のつながりが元々すごく強い。しかも視覚障害者の世界ではパイオニアと呼ばれるような人がいっぱい卒業してるのね。そういう環境で過ごしてきたことは、今の私の在り方にすごく影響してると思う。津田塾も卒業生とのつながりがとても濃い所だよね。津田塾の卒業生の中でも、盲学校とか点字の分野に関わってくれてる人たちがいるんだけど、私のことを知って積極的につながろうとしてくれる。やっぱり、上の人たちあってこその私なんだなって思うよ。その人たちの苦労や努力があってこそなんだから、私はそう簡単にいろいろ投げ出しちゃいけないんだなって。使命というかプレッシャーというか……(笑)。そう思うと、気が引き締まる。」

—なるほど……。私たちも、先輩や上の世代の人たちに支えられていることがたくさんあるはずだけど、そういった義務感、責任感を意識するってなかなかできることじゃないよ。

—これから先、スヌーピーの今までの経験や取り組んでいることも、後の人たちにつながっていくんだろうね。

「今は、吸収できるものはいっぱいしようって思って、先生や先輩、大人の人たちにたくさん甘えさせてもらっているけど、それは学生のうちかな。これからは、後輩に自分の経験を教えてあげたりして、津田塾にまた視覚障害を持った学生が入ってきた時に、少しでもやりやすいようにしてあげることが大事だと思う。そろそろ次の人たちのことを考えて行動していかなきゃね。」

「ブレイルセンス」という名前の端末。本を読んだりメモを取るだけでなく、電子辞書やICレコーダーとしての使用も可能だそうです。

 

ドイツ語Ⅲの授業で使ったテキスト。支援室の職員、外部の点訳者の方が手掛けています。中川さんの使用目的と読みやすさを考慮して、レイアウトや図表の変更・注釈、補足説明の追加など、様々な工夫とアイデアが詰め込まれています。

 

コンプレックスだって、ある

—私は何か新しいことを始めたり、挑戦したりするときって、すごく迷うし、ためらっちゃうんだよね。だから今までにスヌーピーが「~してきた」って話を聞くたびに、「私も頑張ろう!」ってよく思ってた(笑)。スヌーピーの積極的な性格に憧れてるんだよね。

「いやいや、私自身の性格は積極的というわけではないよ(笑)。私って何かに挑戦する機会があるときって、自分が『やりたいかやりたくないか』じゃなくて、やっぱり『できるのかできないのか』ってことを先に考えちゃうんだよね。これってあんまり良くない癖だよね。それはきっと、私に視覚障害があるからだと思うんだけど……。でも先輩たちは障害があってもやってきたんだって話を聞いていると、私が『できるできない』を考える必要は無いし、きっと私にもできるんだろうな、って気持ちがクリアになる。それに、あんなに優秀な先輩ができなかったことを今私がやれたらすごいことなんだ、って思える。今までの先輩たちの積み重ねがあるから、『できるできない』というハードルを難なくクリアして、それを『したいかしたくないか』っていう自分の本当の気持ちだけに向き合っていけるんだと思うよ。」

「それに、私には視覚障害があるから、周りの人たちが当たり前にしていることができないっていうのは、どうしてもたくさんある。だからよく、『私、経験不足なんじゃないかな』って思うところがあるんだよね。それこそ、皆はバイトにサークル、インターンとか当たり前にやっているけど、私ができることってそう簡単には見つからない。モンゴル行ったり、翻訳のボランティア引き受けたりしたけど、それは少しでも自分の経験値を上げるためにやっておこうって思いがあった。皆より経験値が低いっていうコンプレックスを持ってるから……。それで『やれる時にやっておかなきゃ』って気持ちが強いのかも。できることはやっていかないと、どんどん皆に置いていかれちゃう。」

—そういう風に思ってたんだ……。確かに、私たちのゼミの仲間も努力家な子が多いよね。私もよく焦るけど、モチベーションは上げられる感じがする。でも私はその一人であるスヌーピーを見て、経験豊富なスヌーピーを見習わなくちゃ、って思ってたくらいだよ(笑)。そっか、当たり前だけどスヌーピーも悩むよね。なんか、より親近感が湧くというか……。



「私が勝手に諦めたらいけない」


—何かに挑戦したり、取り組んだりする過程で、諦めちゃうことってある?あんまり諦めるスヌーピーというイメージがないんだけど……。

「やっぱり、まず躊躇することが多いかな。その結果、諦めてしまうこともある。諦めるときって、結構すっぱり諦めるんだけど、周りが『いやいや、できるって!』とか言うと、『あ、できるのか!』って立ち直ったりする(笑)。」

—今までに何か印象に残ったことってある?

「言っても分からないだろうなって思ったことがある。英語のリスニングの授業で映画を見ることがあったんだけど、映画は英語の聞き取りだけじゃなくて、映像自体も重要なヒントになってることが多いよね。でも私は聞き取ることしかできないから、映像を見ながら皆と一緒に予習をやっている時、皆が分かっていても私だけ分かってないってことがたくさんあったのね。それを私が分かるまで皆に説明してもらうのはすごく手間がかかるだろうし、私が何を分かっていないのかを皆に理解してもらうのも大変だろうなって思って、『いいや』って諦めて、なあなあで済ませてた。でもある時、一緒に予習してた子が『美枝子ちゃん本当にそれでいいの?』って聞いてくれて。私が諦めて言っても分からないだろうって思ってたことを、その子は察してくれたんだね。それで、ちゃんと先生に伝えて、一緒に映像を見てくれる人と時間を見つけて、皆で予習する前に映像の情報だけを得る機会を作るべきじゃないか、って言ってくれた。この時、『あ、分かってくれる人がいた』って。察してくれる人や言えば分かってくれる人がちゃんといるなら、私一人が勝手に諦めちゃいけないんだ、って思ったことが印象に残ってるな。どうせ分かんないだろうって決めつけちゃいけないね。」


「見えない」という視点


—何だかすごく抽象的な質問になってしまうんだけど、スヌーピーにとって「視覚障害を持って生きる」ってどういうこと?

「個性というには不便だし、重たすぎるね。障害というものに囚われていろいろ考えちゃうのは、自分でもあまり良いこととは思えない。でも、やっぱり目が見えないっていうこと無しには、今の私はないんだよね。そういう意味では、アイデンティティに近いのかな。」

「『目が見えない』ということが、どういうことか周りに理解してもらうことはもちろんすごく大切だと思う。でも逆に、私の方も『目が見えている』ってどういうことなんだろう、って興味が持てるんだよ。普通、皆は気にしないことかもしれないけど、それが私なりの考え方なのかな。『見えない』という眼鏡をかけて世界が見えるというか、物事を見る視点になってる。見える人にとって当たり前のことが、見えない人にとっては当たり前じゃないし、逆もそう。人とちょっと違う見方ができるというのは、視覚障害という点に限らず言えることだと思うけど、私は結構気に入ってるかも。」

—「見えない」からこそ「見える」ものがあるって、何だか不思議な感じ。




二つの世界をつなげて

—将来についてはどう?確か、大学院への進学を考えているんだよね。

「とりあえず今のところは、ドイツ文学専攻で、大学院に行くつもりだよ。ドイツ語とドイツ文学を今以上に勉強したいっていう理由もあるんだけど、それ以上に、『目の見えている世界』と『目の見えていない世界』についてもっと考えてみたい。私は、この二つの世界の間では、『言葉』の役割が大きいと思ってるんだよね。見えない人に対して見えてる人が、自分が今何を見ているかを説明するにも言葉で伝えるし、見えてる人に見えない人が、自分が今どういう状況にあるのかを教えるためにも言葉は必要。そういう言葉のやり取りが面白いし、私にとっても重要なものだから、いろんな側面から言葉を考察する時間がもう少し欲しいな、って思ってる。」

「将来、具体的にどういう仕事がしたいかはまだ全然考えてない。でも、私なりの視点を活かして、見える世界と見えない世界をつなげられたらいいな。もし仕事にしないとしても、ずっと興味を持ち続けていたい。」



 


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編集後記


私が中川さんと知り合ってから、もう三年になります。一年ゼミが同じだと分かった時、それまで視覚障害者の方と近い距離で接する機会もなかった私は、新鮮さと少しの戸惑いを感じたことを今でも覚えています。今は気負ったり気後れすることもなく、自然に彼女と会話をし、行動を共にしていますが、今回のインタビューで、彼女との出会いは私にとって本当に特別なものだったと改めて思えました。
中川さんに出会ってからというもの、「視覚障害」というワードがよく目に入るようになったし、視覚障害者の方を見ると目が追うようになりました。新聞で視覚障害に関する記事をじっくり読んだとき、駅で視覚障害者の方を見て(私が通学に使う駅では、よく視覚障害者の方を見かけます)、「大丈夫かな、いざという時は手伝おう」と思ったとき、いつも中川さんの顔が浮かびます。そして、もし彼女と出会っていなければ、私はこんなに関心を持っていなかっただろう、と考えてしまいます。
インタビューの中で中川さんは、「『目の見えている世界』と『目の見えていない世界』をつなぎたい」と言っていましたが、彼女と出会ったことで、私の世界は、彼女の世界、彼女たちの世界と少しでもつながれたのではないかと思っています(彼女の意図に沿えているかわかりませんが、そうだといいな)。そして昔は見えていなかった、視覚障害・視覚障害者という、世界の新しい視点を得ることができました。同じように、彼女の言葉を読んでくださった読者の皆様の世界が、少しでも近づきますように。「二つの世界をつなぎたい。」この記事が、彼女への小さな手助けになれば幸いです。

そして春に津田塾に入学する新入生の皆様へ。大学では今まで以上に人と出会う場が増え、人間関係が多様なものになります。私はもうすぐ四年生になりますが、大学で得られる人との出会いは本当に貴重なものだと思います。それこそ、自分の価値観や世界を広げてくれるような人であれば、なおさら。新入生の皆様が良い出会いに恵まれますよう、心から願っています。