人生と学び

音楽を極める、プロフェッショナル・リスナーを目指せ 池田澄人

月曜の夕方、小平キャンパスで一番大きな特別教室からグランドピアノの音が聞こえてきます。池田澄人先生が、ご自身でピアノを弾きながら、「音楽」の授業を行っているのです。
「音楽」は、どの学科の学生も受講できる共通科目です。「音楽」という科目名ですが、小中学校での音楽のように、楽器の演奏をしたり歌を歌ったりするわけではありません。音楽はどのようなしくみで成り立っているのか、素晴らしい音楽はどこがどんな風に素晴らしいのか、という「理論」を学ぶ授業なのです。池田先生は、「麻倉怜士(あさくら れいじ)」というペンネームで音楽活動、執筆活動をされています。家には様々な音楽のCDやBlu-ray discが山のようにあるそうです。今回私たちは、どのような経緯で池田先生が、津田塾で音楽の理論を教えることになったのかを伺いました。
音楽に対する愛情が人一倍豊かな池田先生は、インタビュー中も、普段の授業と同じようにエネルギッシュに語ってくださいました。



「音への興味」と、コードとの出会い

「小学校5年ぐらいの時に、父親がステレオ装置を買ってくれました。それまでは、モノラル(1チャンネル、1つのスピーカー)でしか聴いたことがなかったのですが、初めて左右の2チャンネル(いわゆるステレオ)で音楽を聴いて、音の広がりにびっくりしました。臨場感というか、オーケストラが目の前にいるような感じがしたんです。これは面白い、こんなに面白いことがこの世にあるのかと、音への興味を持つようになりました。」


-池田先生はその後、ギターを始めたことがきっかけで、「コード」にのめり込むことになります。

「中学2年くらいからギターを始めたのですが、その頃はギターブームでして、『コード進行』というのを覚えたんです。例えば、|C|Am|F|G7|というコード進行があります。このコード進行は、当時のアメリカンポップフォークの『花はどこへ行ったの』という曲で使われていたのですが、これを、いい曲ならしめているのが、この|C|Am|F|G7|だということを発見したんです。ここで疑問に思ったのが、CとAmは全然違う響きですが、コード進行にすると繋がってしまうということです。Cはハ長調で、Amはイ短調。調としては同居しないのに、続けてやるとすごく綺麗に進行するんです。それは一体何でだろう、と思ったのです。それから僕は、コードオタクなんですよ。」

「その頃からずっと、アメリカのポップスやイギリスのグループサウンズを聴いて、分析していました。何でこの曲のここはこんなに綺麗なんだろうかと考えたり、ここは何だか胸がキュンとするけど、どうしてだろうと考えてみたりして、『ああ、ここにこんなコードが入っているからだな』ということがわかってくるんです。そんな風にずっとコードを研究していて、一時期は車の中にピアニカを置いていました。ラジオで聴いた曲で、ここがいいなというのがあったら、すぐに弾いてみて書き留めるんです。そうして作った『コード帳』は、この曲はこのコード進行でこんな風に感動する、みたいなデータベースになっています。」



津田塾で音楽を教える

- 池田先生は新聞社や雑誌社での仕事を経て、オーディオ・ビジュアル、音楽評論家として独立されます。そんな先生が、どのようなきっかけで、音楽大学ではない津田塾で音楽の授業を担当されることになったのでしょうか。

「雑誌の記者をしていた頃に、取材対象として中野雄さんという、オーディオ・メーカーの常務さんと親しくなりました。中野さんは音楽がすごく好きで、馬が合って音楽の話をしていました。実は中野さんはその後音楽評論家になって、津田塾で音楽を教えられるのですが、定年になった時に頼まれたのです、君やってくれと。僕の家にはものすごい数の音楽のテープがあって、昔の演奏家のVHSテープなどもたくさんあります。それをご存知だった中野先生は、大学で映像を見せる授業をしてくれとおっしゃんたんです。それだったらできるかな、と引き受けることにしました(今それは、早稲田大学エクステンションセンターで教えています)。」

「最初に津田塾に来た時は、なんてきれいな大学なんだと思いました。鷹の台から歩いてきて、緑も水もきれいだし、津田の雰囲気も知的で自然で、本当に感動しました。そして津田塾の学生は、勉強に対するデディケーションが素晴らしいと思いましたね。音楽の授業もすごく集中度高く聞いてくれるし、昼休みも勉強している。僕が大学生の頃は大学紛争の時代で、殆ど授業が無かったんです。大学に行ったらデモをするか遊ぶか、みたいな概念しか持ってなかったところで、津田塾に来て『大学って勉強するところだ』と初めてわかったという感じでした。」


- 池田先生は、2004年から「音楽」を担当されています。その頃と今とでは、授業の内容が大きく変わっているのだそうです。

「それまで中野先生が教えていらしたのは、『音楽史』でした。だから僕も2004年の最初の授業では音楽史をやったんです。でも、それだと誰がやっても同じようになってしまう。モーツァルトを解説することはできるけど、それは決してクリエイティブではないんです。単なる解説ですね。そこでハタと思ったのが、『俺はコードマニアだ』ということです。それ以降、音楽の面白さをコードやハーモニーから切り取っていこうという授業を始めました。」

「3年目か4年目くらいまで、授業で使うプリントを、毎回10〜20ページ一生懸命作っていました。それを今でも毎回改訂を入れてやっています。僕は毎年色んな音楽経験をしているので、その1年の間に何かがあるとそれを授業に取り入れたりして、毎年完成度を上げています。音楽の面白さ、音楽の感動はどこにあるんだろうという観点でテキストを書くというのは誰もやっていないことなので、それを作るのは大変でした。」



感動の最大化

- 池田先生はご自身の授業のコンセプトを、「リスナーが音楽の感動を最大化するための理論の学習」と表現されています。

先生所有のオープンリールテープとカセットテープ

「オーディオ・ビジュアル評論家というのは、僕が少年のころに感動したみたいに、いいスピーカーやいいアンプを揃えるといい音で感動するぞ、みたいなことを言う人ですね。つまり僕の基本的スタンスは、音楽を聴く時の感動を最大化しようとすることなんです。音楽ってそれ自身に力があるから、ただ聴くだけでも気持ちがいいんですけど、しくみであるとか理論であるとかを知っているとさらに感動できるんです。このコード進行があって、それがこういう感情を生んで、その感情を元にしたコンセプトがこのように曲を彩っているのだということがわかるようになると、より深く音楽が楽しめるようになるわけです。」

「僕が津田塾で教えているのは、リスナーとして、つまり聴く立場の人として、よりよい聴き方をしようということです。津田塾の学生のほとんどは、音楽を創ったり供給したりする側にはなりません。今音楽が好きで、これからも一生音楽を聴いていくという、つまり一生リスナーなんです。一般的に音楽の理論というものは、音楽の供給者が持っていて、それは供給者の中の方言みたいなものでしか語られていないんですね。だから僕は、その対極のリスナーとしての理論を確立させて、なるべくわかりやすいように授業で語ることを目指しています。」


- 先生の授業では、授業終了後に「放課後コンサート」が催されます。クラシック・オーケストラのコンサート映像を特別教室のスクリーンで流し、学生が自由に楽しめるようにしているのです。

「放課後コンサートは、特別教室のプロジェクターが新しくなったことをきっかけに始めました。ハイビジョンになって綺麗に映るようになったので、いい画像といい音で見せてあげようと思ったのです。僕の大好きなマーラーも放課後コンサートで一回流しましたね。」


勉強と音楽は車の両輪

- 池田先生はインタビューを通して、普段の授業そのままにエネルギッシュに語ってくださいました。先生の言葉からは、音楽に対する深い愛情と、音楽を語ることへの強い情熱が感じられます。最後に、津田塾生に音楽とのつきあい方について、こんなメッセージを寄せてくださいました。

「生の音楽に接する時間を是非つくって欲しいですね。音楽が入っているメディアは缶詰みたいなもので、その中の音楽は冷凍食品みたいなものなんです。やっぱり大元は生の演奏なわけだから、是非機会を作って生の演奏を聴いて欲しいです。生の演奏というのは耳だけではなく肌で聴くんですね。全身で感じるフィーリングこそが音楽だと思います。」

「勉強と音楽って車の両輪だと思うんですよ。勉強だけでも生きていけないし、音楽だけでも生きていけない。でも勉強のために音楽はいいし、音楽のために勉強はいい。左脳と右脳って感じです。だから、ぜひ音楽に浸って欲しいと思います。」