人生と学び
私が歩む、宝物のような人生 井上則子
みなさんの学校の「体育」は、どのようなものでしょうか。津田塾大学で行われている「体育」は、単に走ったり球技をしたりするものではなく、身体を動かしながら身体の内側の感覚への理解を深めたり、自分の心と向き合ったりする授業です。このように運動を通して、一人ひとりがより良く生きていこうとする姿勢のことを、「ウェルネス(wellness)」と呼びます。そしてその科目担当の一人である井上則子先生は、運動による心の変化や、女性の身体像といったテーマを専門にする、研究者です。実は井上先生は、本学数学科のご出身。学生時代は心から楽しかったと語る先生ですが、どうして数学科からウェルネス研究の道を歩むことになったのでしょうか。お話をうかがうと、それは津田塾に進学したことによる必然だったことがわかります。
「人生と学び」第五回は、まるで太陽のような、底抜けに明るい笑顔が魅力の、井上則子先生にお話をうかがいます。
全てが新鮮だった大学時代
「津田塾に入学したときに、私の中で年号が変わったんです。というのも、地元の山形では『昭和』で育ってきましたが、津田塾では『西暦』を使います。そこで自分の中でリセットされて、ここから新しく歴史を積み重ねるのだという気持ちになりました。他にも、学籍番号がアルファベットと数字で割り振られていることが、私にとってすごく目新しかったですし、ここは海外の色々なものを取り入れている大学だと実感しました。」
「そういったものの一つに、保健体育がありました。今でも津田塾の1年生は、ウェルネス関連の科目である『動きの教育』が必修ですが、このような特定の種目を行なうのではなく、自分の身体の内側の感覚や、動きに対しての理解を深めるプログラムは高校の授業と全く異なりますし、他の大学にもありません。私たちの時は『動きの教育』は『姿勢教育』という名称でしたが、車の乗り方、椅子の座り方も習いました。また自分の体調に合わせて運動プログラムを作成する『コンディショニング』や、季節ごとの行事を企画したり、余暇をどのように過ごすのかを考える『レクリエーション教育』といった科目を選択することができました。それら全てが海外のカリキュラムを参考にしたもので、とても新鮮でしたね。その上、それを教えている先生がこれまた魅力的でした。スコートを履いて、ボンボンソックスでテニスをしたり、ターバン巻いてクロッケーをしていたり。こんな素敵な先生なら私もなりたいなと思ったことが、ウェルネスの先生を目指したきっかけです。」
- 目を輝かせながら、とにかく先生方が魅力的だったと語る井上先生。数学科からいきなりウェルネスの道を歩むことに、ためらいはなかったのでしょうか。
「実は高校のとき、生物に一番興味があったんです。カエルが生まれる一つひとつの過程や、遺伝子の組み合わせ、筋肉が統べる動きやしくみがすごく好きでし た。自分の身体の細胞がそうやってできていることや、遺伝子の組み合わせでいろんなものが生まれていくということがとても面白かったんです。とはいえ、津田塾の数学科を受験したのは、周りにいた津田塾の卒業生の人たちから、すごく楽しいと聞いていたからです。同じ理系だからいいかと思って(笑)。大学に 入ってからウェルネスの道にいきたいなと考え始めたときに、生物を好きだったことを思い出し、決意しました。大学4年のときに、先生に進路について相談を したら、東京学芸大学で授業を聴講することをアドバイスされて、すぐに『運動生理学』や『バイオメカニズム』の授業を受けました。」
出逢った全ての人が何よりの宝物
「4年次のゼミの先生にはとてもかわいがってもらいましたね。大学院の推薦状を書いてもらうときにも『数学科の大学院に行く推薦状は書いたことがあるけれども、体育の大学院に行く推薦状を書くのは初めてだなあ。どういうことを書いてほしいんだ?』と聞かれたんですが、先生にお任せしますと答えたんです。しばらくして、出来上がった推薦状を持って東京学芸大の大学院の面接試験に行ったら、『こういう字を書く先生はご高齢だと思います。しかし、そのご高齢の先生にこんなに素敵な推薦文を書いてもらって、君は二年間、ここで何を学びたいと思っているんだい?』と尋ねられたんですね。先生の期待に応えるためにもきっちり学んで、津田塾に戻りたいと答えたのを覚えています。」
「卒業式のときには、数学科の代表として答辞を担当しました。当時の数学科は学生の投票で担当を選んでいたんです。友人たちが、楽しい卒業式にしたいからと、票が集まったみたいですね(笑)。ある日突然、『君が圧倒的に一位なんだよ』と数学科の先生に呼び止められたんです。何票入ったんですか?と聞き返したら『6票』と(笑)。『6票っていうのは圧倒的なんだ、この数年間で一番多い数字なんだ』とおっしゃっていました(笑)。」
- 井上先生は当時のことを、大笑いしながら話します。
「『みんなが君に卒業式に喝を入れてもらいたいと思っているらしいから、好きなことを言っていいよ!』と言われました。しかし、他の学科の学生が、真面目に答辞の準備をしていると聞いて、自分のキャラクターを出すのはよくないことかなと悩んでしまったんです。そしたらまた別の先生に『お前のままでやればいいよ、それをみんなが期待しているんだから』と声を掛けられて、吹っ切れました。本番では、数学科の先生方との距離が近くてとても楽しかったことや、寮や学校でとにかく友達に恵まれたことの一つ一つが、私の宝物だということを言いました。すると、会場にいた数学科の先生方が手を振ってくれて…。決まりきったことではないことを言う役割を、みんなが私に期待していたことを実感しましたね。」
「自分とは何か」を考え続ける日々
- 大学卒業後、東京学芸大学大学院に進学し、そして希望通り津田塾に戻ってきた先生は、その後も順風満帆に過ごしていたと言います。しかし、34歳で初めて、どうしようもない困難に直面したそうです。
「きっかけは電車の中で、立てなくなるくらいの貧血を起こしたことですね。今までは貧血なんて起こしたことがなかったので驚きました。さらに、そのことで電車に乗るのが怖くなってしまったんです。そういう風に、自分の体調が悪いことや、そのことについて不安になることを経験したことがなくて、今までのような明るくて強い自分でないことが嫌でたまらなかったんです。これは絶対に病気に違いないと思い、病院に行きました。しかし『それは、あなたが順調にきていたからで、普通のことなんですよ』と、言われてしまう。『いや、それは違う。これは絶対病気だから治してほしい』と、病院を転々としましたね。」
「最後に行った、一番私が信頼している産婦人科の先生が、『どういう風に治したい?』と親身になって聞いてくれました。今までの自分に戻りたいという思いを伝えると、漢方薬を出してくれました。それに、受付の看護師さんが『時間がかかるかもしれませんが、頑張りましょうね』と言ってくれたんです。でもあとで効能を調べたら全く関係のない処方だったの(笑)!先生は身体に影響がない漢方を薬として出して、本人に効き目を信じ込ませて治そうとしたようです(笑)。そこで初めて『自分は本当になんともないんだ』と思いましたね。つまずいたことがなかったので、それまでのイメージが崩れて、それを受け入れられない自分がいることに気が付きました。そこで、そのことを津田塾の看護師さんに相談したら『受け入れたらどうですか?』と言ってくださったんです。『そういうのも含めて井上先生の一部なんですよ』と。なるほどと思いましたね。順調にきていたから、厳しい現実に直面したときに、それを受け入れるということを知らなかったんですよね。あとになって友人たちに『自分って何?って考えたことある?』と聞いて回ったら、『何言ってんの、そんなことはとっくの昔に思い悩んでいたわよ!』と言われて、拍子抜けしましたね(笑)。」
「私、学生時代に桜をきれいだと思ったことがないんです。桜の美しさに気をとられないくらいに、周りに面白いことや楽しいことがありすぎたんですね。でも、その遅く来た『思春期』を過ぎたら、津田塾の自然が美しいと心から思うようになりました。その時期に夫に言われた『日々当たり前のことを積み重ねていくことが人生なのでは』という言葉の真意が、今ではとてもよくわかります。」
何一つ癒しにつながらないものはない
- 最後に、この連載タイトル「人生と学び」に寄せて、これまでの人生の中で得た一番大きな学びを、学生や高校生をはじめとする読者に教えてください。
「自分の悩みが解決するということや、何かに対して癒されるということは、目の前の現実は変わってないけれど、その現実に対してものの見方が変わることだと思うんです。自分が変えようと思っても変えられない現実は確かにあります。それを受け入れることは大変ですが、見方を変えるということは自分と現実の関係性が再構築されるということですよね。私は大変だった時期に手当たり次第、本を読みました。自分の中にストンと落ちる、自分の気持ちを代弁している言葉はないかと思って。『悩んだときは、イルカセラピーがいいですよ』と言う人はいるけど、その人がたまたまイルカにきっかけを求めただけであって、本だったり音楽だったり、人によってそれは変わります。そういった意味で、身の回りにあるもので何一つ癒しにつながらないものはないと思うんです。日々の生活がつらいと感じる人がいるなら、見方を変えるきっかけになるものをぜひ見つけてほしいなと思います。」