人生と学び

人生と学び "26 -豊かな感情がもたらす世界で 後編

皆様、「人生と学び #26 -豊かな感情がもたらす世界で 前編」はいかがでしたでしょうか?
後編も引き続き、テレビ朝日系スペシャルドラマ『津田梅子 〜お札になった留学生〜』のプロデューサーを務められた、神田エミイ亜希子様に伺ったお話しをお届けします。

後編では、スペシャルドラマの制作の裏側やプロデューサーとしてのお仕事に焦点を当てるとともに、神田様が見据える未来についてご紹介いたします。
神田様のお話を通して見えてくる世界は、皆様の目にどのように映るでしょうか。進路を考えたり、より広い視野で、これからの世界を見渡してみたり。この記事を読み終えた後に皆様の心の中に広がっている景色は、きっと胸が高鳴る世界のはずです。

それでは、後編もどうぞお楽しみください!

ドラマプロデューサーのお仕事

— 今回のスペシャルドラマの制作に関する印象的なエピソードがあれば教えてください。

今回のドラマ制作は、津田塾大学の卒業生である先輩プロデューサーの内山聖子から、ある日「ねえ、津田梅子さんどう思う?」というざっくりした一言があり、「ど、どうって……あの偉人ですね?」と答えたところから始まりました(笑)。
それから津田梅子さんについて調べてみて、内山に「梅子さんが悩んでいたことって今の私も悩んでいることと重なるんです」って話をする過程で、ドラマの世界観が見えてきたんです。でも、明治時代ってどうやって撮るんだろう?みたいな(笑)。衣装も髪型もちょっと独特なので、準備もやっぱり大変だったんですよ。ある種の時代劇なので、どうやって、どこで撮影するのか、ということもしっかり検討しなければいけませんでした。

それから裏話としては、ドラマ冒頭の梅※1と捨松※2が船に乗って日本に帰ってくるシーンをCGで作ることにもすごく拘りました。帰ってきて初めて見る富士山とか、街頭でほのかに光っている東京とか。日本に帰ってきた彼女たちが最初に見る風景は、監督とかCG担当とか皆で拘ったシーンなんです。あそこは「かっこよく作りたいな」と思ったし、観いてる人たちに「このまま続きを観たい!」と思っていただけるようなシーンにしたいなと思って頑張った場面です。海の感じとか、リアルにするだけだったらいくらでもできるんですけど、リアルを超えたアートみたいなところをどう表現するかも拘りましたね。

— 確かに冒頭のCGのシーンは強く記憶に残っています。梅子さんと捨松さんが、"Mt. Fuji!"って感動している場面が特に印象的で、「日本に帰ってきた!」という感動が鮮烈に映し出されていて、こちらまで感動してしまいました。

でも周囲に聞くと、意外と男性は違うところに感動していたみたいなんですよ。
ドラマの冒頭、幼い梅が小さい船に乗って沖まで行ってさらに大きな船に乗り換えてアメリカに向けて出発するんですけど、伊藤英明さん演じる梅のお父さんが「梅〜!」って言いながら、6歳の娘を見送るっていうシーンで男性は涙が止まらなかったみたいです。そこがすごい刺さったみたい。娘を見送る立場の父を思うと、切ない気持ちが止まらなくなったようで(笑)。そこでは家族の絆みたいなものも描きたかったので、涙していただけたなら良かったです。
あの当時、6歳の娘をアメリカに留学させようと思った両親、特に仙さん※3は、すごい人だなって思いますよね。

※1 津田梅 津田梅子の戸籍上の名前。1902年に「津田梅子」に戸籍を改めたそうですが、ドラマでは「津田梅」の青春時代が色濃く映し出されていました。
※2 
山川捨松 梅と一緒にアメリカへ留学した人物。(結婚を機に、姓を山川から大山に変更。)
※3 津田仙 梅の父。

— "津田梅子像"に出会ったときの出演者の皆様のリアクションはいかがでしたか?

津田梅子を演じた広瀬すずさんが、梅子さんのことを「単に強いだけではない強い女性」という言い方をされていらっしゃったのがすごく印象的でした。その通りだと思うんですよね。ただ強いだけじゃない、一歩上を行く強さみたいなものが梅子さんにはあって。そういう人が時代を切り拓いていくんだなというのも感じました。

広瀬さんは「日本語がわからない難しさ」や、「この日本を変えたいと思っているのに変えられない」、「自分にできることは何があるんだろう」と悩む様を芝居でどう表現するかということをとても考えてくださっていました。明治ガールズ(津田梅、山川捨松、永井繁※4)を演じた3人(広瀬すずさん、池田エライザさん、佐久間由衣さん)が仲良く喋っている姿は、本当の梅・捨松・繁のようだなと感じました。また、「きっと今に繋がるものがある」と考えながら演じてくださっていることも感じましたね。明治ガールズは、強さの中にしなやかさももっているので、それを芝居で表現しようと頑張ってくださっていました。

※4 永井繁 梅と一緒にアメリカへ留学した人物。(結婚を機に、姓を永井から瓜生に変更。)

— ドラマの制作に際して、ご苦労されたことはありましたか?

難しかったのは、やはり「明治時代を撮る」ということでした。資料としての写真がギリギリ残っている時代なので、それを見たり勉強したりしながら髪型とかドレスとかを準備して。場所も、一部は明治村まで撮りに行きました。あとは、鹿鳴館のダンスのシーン。あの場面は役者さんにダンスを覚えていただかないと撮れないので、ディーン・フジオカさんをはじめ、皆さんにダンスを覚えていただきました。ダンスの練習も含めて事前の準備にすごく時間がかかったので、時代物のドラマを制作するって難しいなと思いました。でも明治時代って華やかですよね。チャレンジして、良い経験になりました。

— 髪型やドレスの準備も大変だったとのことですが、やはり皆さん朝早くから現場に入られるのでしょうか?

キャストもスタッフも、みんな朝早くから現場入りしていましたね。それに、明治時代の髪型を作るために、色々な現場でチーフとして活躍されているヘアメイクさんたちが来てくださいました。「え、こんなにたくさんのベテランがこの現場に来ちゃってたら、今日の他の局の、もしくは他の映画の撮影どうしてるんだろう!?」と思うくらい、有名なベテランのメイクさんが勢揃い!みたいな日があって。皆さん「あんまり作ることない髪型だから、昨日練習してきたよ!」と声をかけてくださったんですよね。その気合いも嬉しかったのですが、「そうだよね、そんなに毎日この髪型作らないもんね」とも思いました(笑)。

— 今回のドラマ制作を経て、神田様ご自身が影響を受けたり、考え方の変化が生じたりしましたか?

梅子さんや彼女を支えた人たちを見てみると、もちろん名も無き人たちもいるんですけど、伊藤博文とか歴史上の人物も出てくるんですよね。あの時代の梅子さんの周りの人たちって本当にすごい人たちばかりなんです。でも名も無き人たちも含めて、各々が「こう生きていきたいな」とか「こういうメッセージを伝えたいな」とか「自分にできることはなんだろう」とか、一生懸命考えていたと思うんです。
そんなふうに、前向きに何かに挑戦して生きている限り、もしかしたらそれは名も無き一歩かもしれないけど、その一歩が積み重なって未来は変わるんじゃないかって。すごく感じるものがありました。

ちなみに『エアガール』という作品も『津田梅子 〜お札になった留学生〜』と同じ年度末に放送したんですけど、実はこの作品も、どうしてもやりたくて粘って作った作品なんです。両方とも"Look up"、「頑張っていると未来は切り拓いていける」、「自分たちの手で変えていける」というメッセージが込められています。
自分が関わる作品を通して、見てくださった方に何かが伝わって、同じ想いを共有できたら素敵だなと思うんですよね。その過程の中で、小さなバトンを繋いでいきたいですし、誰かから何かを受け取っていきたいなと感じています。そんな気持ちが芽生えたり。そういう気持ちをもとうと思ったりするようになったという意味では、変化が生じました。

テレビ朝日本社前でのお写真。ここで、たくさんの物語が生まれています。


— 神田様の思う、ドラマ制作やマスコミ業界の魅力を教えてください。


私は、物語には人の心を動かす力があると思っているんです。例えばドラマとか映画だったら、それこそ明治時代にも、魔法の世界にも行けるし、ドキドキするような怖いホラーやアクションも体験できます。それってすごいことだと思うんですよね。自分で思い描いた世界を作って、その作品で人の心を動かすことができるというのは、ドラマ制作とかマスコミの仕事として面白い部分だなと感じています。マスコミとかテレビには他にも役割はありますし、魅力的な部分は色々あるんですけど、ドラマというストーリー系のコンテンツを作る立場から言うと、そういうところが魅力だと思いますね。

「物語の力」って言葉だけだとわかりにくいかなと思うんですが、例えば、ただの白いマフラーが映っているだけだったら、それはただのマフラーでしかない。だけどもしそのマフラーが、おばあちゃんがひと編みひと編み気持ちを込めて、お孫さんのために編んだものだったとしたら?お孫さんが上京する時、おばあちゃんがその手で孫の首に巻いてあげた大切なマフラーだったとしたら?それが失くなったなんてことになったら、「なんとかして見つけなきゃ!」と思うわけですよね。こんなふうに、何か一つエピソードがつくとそれってものすごいパワーになるんです。だから、人の感情が動く瞬間を作れるというのはすごく面白い仕事だなと思っています。

それから、人って本当に大昔から物語を作ってきた生き物なんです。神話も物語として見るとすごくよく出来てるんですよ。物語の構造を分析すると、ハリウッド映画と同じような構造をもっているものもあるくらい。昔から人は色々な物語を作ってきたんですけど、それは人が「楽しい」とか「面白い」とか「ハラハラする」みたいな感情を、太古の昔からもっているということだと思うんです。私が作っている物語は、音も映像もついている、かっこいい言い方をすれば「総合芸術」みたいなものだと思っています。映像は、特にパワーが強いものですしね。映像という形で物語性のあるものを作れるという意味でもやりがいがありますし、それが私の思うドラマ制作の魅力です。



未来を見据えて

— 今回のスペシャルドラマのコンセプトの一つでもある「ガールズパワーが日本を変える」。そんな「ガールズパワー」によって切り拓かれた社会で、神田様が今後どのように人生を歩んでいきたいかを教えてください。

世界がガールズパワーで切り拓かれたおかげで、例えば私は、自分がやりたいと思った仕事に就けて、男性だからとか女性だからとか関係なく、平等に仕事を任せてもらえたりチャンスをもらえたりしています。やりたいことができるという今の状況は、梅子さんや先人が切り拓いてくれたものだと思っています。それこそ弊社で言うと、津田塾大学出身の内山は、会社で初の女性プロデューサーになった人物です。そういう先輩がいるから、今私も自由に色々なことができているんだなと日々感じています。

そんな時代の中で仕事をさせてもらえている私は、次にどんなものを作っていけばいいかな、何ができるかな、と考えるんです。
最近、放送したドラマが世界中で配信されて、日常的に世界中から「Google翻訳しました!(笑)」というような不思議な日本語だけれど、あたたかいメッセージがが寄せられるという体験をしました。国を超えて感動してもらえる、何かを共有できる、そういう時代が来たんだなということを実感しています。それくらい、いろいろな国の人、いろいろな背景をもつ人たちにも、人として嬉しいとか悲しいという感情は共感していただけるんだなって嬉しく感じています。同時に、国境を超えていけるような力のある作品を作っていきたいといも思っています。更にもう一つ上のステップを目指すとするならば、国境だけではなくて、時代を超えて愛されるような作品を作れるようになりたいです。時も国境も越える作品を生み出せるようになったらものすごく素敵ですよね。


— 今回のスペシャルドラマ『津田梅子 〜お札になった留学生〜』をはじめ、『エアガール』『24JAPAN』など女性が活躍するドラマ、恋愛におけるセクシュアリティの先入観を感じさせない『消えた初恋』などの作品を多く手掛けていらっしゃるからこその、ジェンダーギャップが残る社会で生きていく世代へ一言をお願いします。

私自身が大事にしていて結構色々なところでも言っているのが、「多様性に対して寛容でありたい」という言葉です。特に、自分と異なる他者に耳を傾けることが大切。例えば、異文化の方を前にすると相手が言っていることが全然理解できないこともあるんですよね。でも自分と異なる意見や生き方をしている人の言葉を聞かない限り、それこそ世界は平和にならないと思うんです。だから私は、「多様性に対して寛容でありたい」。メッセージとしてまず一つ、このことをお伝えしたいです。
後は、多分若い方がお読みになると思うので、「自分で自分を信じてあげる」という言葉もお伝えしたいです。物事ってそんなに何もかも上手くはいかないですよね。一番難しいことは、誰にも褒めてもらえない、誰にも見向きもしてもらえない時に、自分で自分を信じること。「自分で自分をcheer upできるかどうか」ってすごく難しいけど大事なことだと思うんです。梅子さんも正にそうだったと思うんですけど、夢を叶えようと思ってもなかなかできない、それでも諦めずに、自分の力を信じて努力できるかどうかというのが、夢を叶える時の分岐点になるような気がします。
「自分の周りにいる人たちに対して寛容でありながらも、自分のことに関してはブレずに信じてあげる」。これが、すごく大切なんじゃないかなと思います。社会に出ていく時に、自分と違う人たちの意見にも耳を傾けてみて、そこから学べることがあったら是非学んだらいいと思うんです。上手くいかなくても自分で自分を励まして、信じてあげることを大事にできたらいいですね。



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「楽しい」から広がる世界を大切にすることで、今に繋がる出会いがあった。

"Love actually is all around".
孤独を感じた時にふと顔を上げてみると、自分に向けられた愛を感じることができる。

「感動は国境を越える力をもっている」ことに気づいて、やりたいことのビジョンが見えた。

例えそれが小さな一歩だとしても、「名も無き一歩の積み重ねが未来を創る」。

「"Look up". 頑張っていると未来は切り拓いていける。自分たちの手で未来を変えていける」
このことを信じて、確かに切り拓かれた未来がある。

「いろいろな国の人、いろいろ々な背景をもつ人たちでも、嬉しいとか悲しいとか、その感情は共通している」ことに気がつくと、
自分と異なる他者を慈しむことができる。共有できるものがあることに気づくことができる。
 
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前後編を振り返ると、神田様の「人生と学び」がしっかりと私たちの胸に刻まれたことを感じていただけると思います。

豊かな感情がもたらす世界で、私たちはどのような景色に出会うことができるでしょう。

150年前に津田梅子が蒔いた種は、困難の中で根を伸ばし、大きな花を咲かせました。
その花は身を結び、また新たな種ができて、この世界を鮮やかに彩っています。

先人たちの手で世界には幾つもの種が蒔かれて、今、数え切れないほどの花が咲いている。
その花たちは受け継がれてきた愛であり、全ての人の努力であり、未来への希望であるようにも思いました。

私たちの一歩は小さいものかもしれないけれど、その積み重ねには世界を変える力がある。
100年後の世界に、万彩の花々が咲き誇ることを信じて。