人生と学び

人生と学び #26 -豊かな感情がもたらす世界で 前編

2022年3月5日(土)に放送された、テレビ朝日系スペシャルドラマ『津田梅子 〜お札になった留学生〜』。
皆様、ご覧になりましたか?
きっと津田塾大学の学生だけでなく、多くの方が津田梅※1の姿に感銘を受け、鼓舞されたことと思います。
この連載「人生と学び」の第26回では、スペシャルドラマのプロデューサーを務められた株式会社テレビ朝日の神田エミイ亜希子様に、事前にご協力いただいたアンケートの内容を踏まえながらお話を伺いました。今回は前編、後編の二部構成にてお届けします。

前編では、神田様の人生にスポットライトを当ててお聞きしたことをご紹介します。
その豊かなバックグラウンドを感受していただければ幸いです。

※1 津田梅子の戸籍上の名前。1902年に「津田梅子」に戸籍を改めたそうですが、ドラマでは「津田梅」の青春時代が色濃く映し出されていました。

六本木ヒルズ毛利庭園でのお写真。神田様がおもちの豊かな世界の中で紡がれる今回のインタビュー記事。どうぞお楽しみください。

学生時代

— 神田様の学生時代について教えてください。

大学ではポルトガル語とポルトガル語圏の国々についての地域研究をしていました。
私はアメリカで生まれて小さい頃ドイツに住んでいたことがあるんですけど、ポルトガル語の勉強はしたことがなかったので、ポルトガル語学科での学びは結構大変でした。授業の進度も速いし、帰国子女も多かったので、ポルトガル語が全くわからない私は一生懸命勉強していた記憶があります。でも、テストの点を効率よく取ろうとするタイプではなかったので、すごく学校の成績が良かったかと言われると別にそんなことはないですよ(笑)。

ただ、興味が湧いたことに関しては熱心に取り組んでいました。ポルトガルには「ファド」という歌のジャンルがあるんです。イタリアで言う「カンツォーネ」、フランスで言う「シャンソン」みたいなものなんですけど。所謂サークル活動はしていなかったものの、私はファドがすごく好きで、大学の先生のところで研究会を開いてもらっていました。


— 事前アンケートでは、「学生時代をどのように過ごしていらっしゃいましたか?」と言う質問に対して「勉強をする中で興味が湧いたことがあればそれを学ぶために寄り道をするような日々だった。」とご回答いただいていましたが、具体的にどのようなことをされていたのでしょうか?先程仰っていた研究会を開いていただく、ということになるのでしょうか。

そうですね。ファドに詳しくても、私はファド歌手になるわけでもないし、ファドの演奏者にもならないんですけど(笑)。でも、ポルトガルの人たちが好きな音楽がわかると、ポルトガルの文化に触れることができるんです。
例えばファドの歌詞の世界観として、大航海時代、船乗りたちを「行ってらっしゃい」と見送ったお母さんたちの涙が海をしょっぱくしているんだ、みたいな表現があるんです。これは多分テストには出ないんですけど、私にとっては豊かなことのような気がしていました。とにかく「楽しい」を原動力に行動していたと思います。

それから、ポルトガル語を勉強するとブラジルに留学する人が多いんです。でも私はどうしてもポルトガルに留学したくて。ポルトガルって、EUの中で突出して経済的に発展しているとか、技術力が高くて有名とか……そういうタイプの国ではないんです。でも、ヨーロッパの中では西の端っこに位置しているとか、大航海時代を築いた人たちの冒険心とか、彼らのもつ世界観が私は大好きなんです。しかもポルトガル人って日本人のことを身近に感じているのかなって思うこともあって。留学していたときに、「日本にSONYやTOYOTAがあるのは僕たちが日本を発見したからだ!」みたいなことを言われたことがあります。「ええ?そうかな?」とは思うんですけど(笑)。日本製品はもちろん、日本の文化も好きな方が多い印象でした。

こういう、異文化と接することで見えてくる発見とか体験が、私にとっては楽しくて興味を惹かれることでしたね。そういうことに対して寄り道をしていたイメージがあります。


— なぜマスコミ業界を志望されたのでしょうか?

この業界を志望するきっかけは、ポルトガルに留学していたときに訪れました。
留学すると「楽しい」という人が多いと思うんですけど、私はそんなに社交的ではないので、友達を作るのも一苦労だったんですよ。そんな時に、留学先の私の数少ない友達が風邪を引いて学校を休んだんです。当時はまだガラケーしかない時代だったので、SNSもありません。しかもその日は学校が午前中しかなかったから、お昼ご飯の時間からひとりぼっちになってしまったんです。「私は何をしにここに来たんだろう?」って思っていた頃で。ポルトガルって日本と違って電車は時刻通りにこないし、自販機はいつも使えないままだし(笑)。しかもスーパーのおばさんともコミュニケーションが取れない。商品の値段も聞き取れないし、パン一個買うのにも苦労する。ポルトガルにまだ慣れていない時期にひとりぼっちでポツンとなった時に、「そうだ、映画を観よう」と思って。その映画はLove Actuallyという、クリスマスを前にした群像劇なんですけど。
映画の冒頭で"If you look for it, I've got a sneaky feeling you'll find that love actually is all around".っていう台詞があるんです。「あなたが気付こうと思えば、愛は至るところに溢れている」っていうこのフレーズに、私は涙が溢れました。
留学に行くときに「行ってらっしゃい」って送り出してくれた両親とか、「元気?」ってメールをくれる友達とか、商品の値段を聞き取れた時に、スーパーのレジのおばさんが褒めてくれたこととか、駅員のおじさんが電車が時刻通りに来てないのに「おはよ!」ってあっけらかんと挨拶してくれることとか。沢山のことを思い出して、わーって泣けたんですよね。
ここからが本題で、Love Actuallyはイギリスの映画なんですけど、「"ポルトガル"で"イギリス"の映画を観た"日本"人が泣く」って、すごいなと思ったんです。「感動は国境を超える力をもっている」ということをその時強く感じたんですね。それで私も、自分が作ったものでどこかの誰かの心を動かせたら素敵だなって思ったのが、この仕事に興味をもったきっかけです。

— 神田様にとって、その映画との出会いが一つの転機になったんですね。

そうですね。映画の中で、フランスに滞在して仕事をしているイギリス人の男性の元に、ポルトガル人の家政婦さんが働きにやってくる場面があるんです。でも、イギリス人とポルトガル人だから全然コミュニケーションが取れないんですよね。だけど、そのイギリス人の男性が、ポルトガル人の家政婦さんに恋をして、一生懸命ポルトガル語を勉強して、クリスマスに告白に行くんです。でも、ものすごく下手くそなポルトガル語を話すんですよ(笑)。それを同じ映画館で観ていたポルトガル人が声を出して笑った時に、私も同時にすごく笑えたんです。「変なポルトガル語!」って。
それまで私は、留学してから「全然ポルトガル語上手くなってない……。」って落ち込んでいたんですけど、「あ、私にも(映画の中のポルトガル語が)通じてるんだ」って思えたのもすごく嬉しくて。それも、「感動って国境を越える」ということにリンクする経験です。だからLove Actuallyは私にとってすごく大事な映画なんですよね。

留学時代のエピソードを楽しそうにお話ししてくださる神田様。

津田梅子との出会い

— 神田様は、津田梅子をいつ、どのように知ったのでしょうか。

梅子さんを知ったのは小学生の時でした。私は青山学院の小学校に通っていたんですけど、青山学院は元々海岸女学校っていう、梅子さんのお父様である津田仙さんがお作りになった学校なんです。小学校の時に学校の歴史を勉強すると必ず津田仙さんの名前が出てくるので、青学の子は津田仙さんのことをすごくよく知っていると思います。だから、梅子さんは仙さんのお嬢さんで、津田塾大学を作った人として、小さな頃から知っていたんです。
今回のドラマを作るために彼女の人物像等を勉強したんですけど、「たった6歳でアメリカに留学したの?!」と、すごく驚きました。「そんな小さな子どもが日本初の女子留学生として海を渡った」ということは初めて知りました。

でも、実は梅子さんのことを勉強してみて一番衝撃を受けたことは他にあるんです。
梅子さんの手紙をまとめた、The Attic Letters※2 という本がありますよね。彼女が歴史上の偉人で「津田塾大学を作った教育者として立派な人」というのは皆さんご存知だと思うんですけど、私はその本を読んで、「梅子さんが悩んでいることって、150年後の私たちと一緒だな」と感じたんです。彼女が悩んだことは、現代の私たちも人生を歩んでいく過程で同じように悩んだり壁にぶつかることなんですよね。「働きたいけど働く場がない」とか、「なんで給料こんなに安いの?」とか、「結婚しろってもう言わないで!」とか。150年前に生きていた梅子さんも、私たちと同じように悩んでいて、その姿をすごく愛おしいなと思ったり、この人が同じクラスにいたら友達になりたかったなって思ったりしました。だから、若い時の彼女の葛藤をドラマ化したいと感じましたし、それが「時代を超えてバトンを繋いできてくれたから今がある」ということをより伝えやすくする大事なポイントになるんじゃないかなって、梅子さんの青春時代を描きたいなって思いました。

ちなみに、もし神田様が津田梅子とお友達になれたら、どんなことをしてみたいですか?

そうですね。梅子さんとお茶しながらお喋りできたら、とっても楽しいと思いません?(笑)
きっと彼女は見えているもの・考えていることが他の人に比べてすごく先進的だったと思うんです。だから、例えば彼女が今の日本にやってきたとしたら、彼女から今の日本がどう見えるのか聞いてみたいし、普通のクラスメイトとしてのお喋りももちろんしてみたいです。

そもそも日本語が不自由な日本人っていうのは当時すごく珍しくて、しかも女性だし、生きにくかったんじゃないかなって思うんです。私もアメリカとドイツに住んでいた中で日本に帰ってきた時に、日本語が通じなくて困るっていうことが結構あって。私にとって「私」っていう言葉そのものが聞いたことのない単語だったんですよ。「私」って言いたいんだったら英語の"I"かドイツ語の"Ich"だと思っていたから、日本に来て最初に躓いたのが「この国では"Ich"のことを「ワタシ」と言うらしい」ってことで(笑)、それが私にとってはすごくカルチャーショックだったんです。
同じような、伝わらない・通じない・わからないみたいな戸惑いは、梅子さんが日本に帰ってきた時も沢山あったと思うんですよね。自分は日本人のはずなのに、日本のことがわからない、っていう葛藤は、自分の経験の中から共感とともにドラマの中で表現できたらいいなって思いました。そういう共通の話題について梅子さんと「そうだよね!」って言いながら話してみたいです。

※2 The Attic Lettersは津田梅子の書簡集。最初の留学から帰国した1882年より1911年にかけてホームステイ先のランマン夫人宛に書き送った書簡のうち約三分の一をまとめたもの。


 ・ ・ ・

ここまで、神田様の人生についてお話を伺って参りました。
神田様の学びへ向かう姿勢や、留学時代のエピソード、津田梅子との出会いなど、その豊かな背景を知っていただけたことと思います。

後編では、よりドラマの内容にフォーカスしたお話や、プロデューサーとしてのお仕事、そして神田様が見据えるご自身の未来について語っていただいた様子をお届けいたします。
読者の皆様も一緒に、先人たちによって切り拓かれてきた世界のこれからを見据えてみませんか?

後編もお楽しみに!