人生と学び
人生と学び #25 - 多文化社会に触れて常在フィールドに至る
私が津田塾大学に入学した年に、同じく着任1年目だった光成先生は、「1年セミナー」で学生が各々の興味関心を掘り下げていくサポートをしてくださりました。優しく朗らかな笑顔の中に揺るぎない芯の強さを感じさせる先生です。
第25回「人生と学び」は、マレーシアを研究していらっしゃる光成先生にお話を伺いました。
多民族のムスリム社会
—現在はどのような研究をされていますか。
多宗教社会におけるイスラム教という観点からマレーシアを研究しています。東南アジアは島嶼部と大陸部に分けられることが多く、後者は仏教の影響が強い地域です。一方、島嶼部はイスラム教徒が多く、華人やインド人など異なる民族的、宗教的背景をもつ人がたくさんいます。さまざまな背景をもつ人々のなかで、イスラム教がどのように信仰されているのかを研究しています。具体的には、マレーシアの家族法制度におけるイスラム法のあり方に関心があります。日本だと、結婚や離婚に適用される家族法といえば民法ひとつですが、マレーシアには家族法がふたつあるんです。華人やキリスト教徒、ヒンドゥー教徒などイスラム教徒以外の人にはいわゆる民法が適用される一方で、イスラム教徒にはイスラム法にもとづく家族法が適用されます。
—マレーシアの宗教問題ということでしょうか。
宗教問題であり、民族問題でもあるけれど、もっと広くマレーシア全体を研究題材としています。マレーシアの特徴は裁判や議論をとおして問題を解決していく姿勢が強いことです。改宗について話すことは必ずしもタブーではなく、改宗も異教徒間の結婚も起こりうることとして社会制度の前提になっていると言えます。イスラム教が優勢な他の地域と比べても、社会の前提が大きく違うように感じます。異なる宗教的背景をもつ人びとから成る社会を回していくためには暗黙のルールはなかなか通用しません。多民族社会としての知恵が活発な議論を生み出したのでしょう。
—マレーシアを専攻したきっかけを教えてください。
大学では社会学を専攻していて、法社会学や宗教社会学に関心がありました。9.11事件が起こったのも在学中でした。当時は、関心をかけあわせてイスラム教のことを法学の視点から見てみたい、くらいに考えていました。テーマも研究方法も全然絞れていなかったのですが、当時話を聞きに行った先生に、「東南アジアは民族関係や社会が今ちょうど動いているよ」と助言をいただいて、現地に行ったこともないままマレーシアを研究しようと進学しました。今思えばそれが2003〜2004年くらいだったので、長期政権が交代して、社会の中でのイスラム教の存在感も変わりつつある時期だったかなと思います。
婚姻法と雑誌『カラム』
—実際にマレーシアに行ってみていかがでしたか。
留学中に知ったある訴訟がきっかけで研究にのめり込みました。イスラム教徒の女性がキリスト教徒と結婚するために改宗したいとして認定を求める訴訟でした。マレーシアはイスラム教徒が多く、イスラム教から表立って改宗した事例はあまりありません。異教徒間で結婚するなら、イスラム教徒でない人がイスラム教に改宗するのがふつうだ、と長いこと考えられていました。その訴訟は10年以上続いて最高裁に持ち込まれ、憲法論争に発展しました。改宗という敏感な問題が、訴訟という形で公に問われ、メディアで喧々諤々論じられる様にとても驚き、さらに興味を持ちました。
帰国後も判例史を研究していたのですが、改宗事例をどのようにマレーシア研究に位置付けるか悩んでいました。そんな折、『カラム』(京都大学東南アジア地域研究研究所所蔵※)という1950〜1960年代のイスラム系の雑誌を分析する共同研究に参加し、気づけばその面白さにハマっていました。
この時代のマレーシアは脱植民地化と国家建設が進んだ時期で、イスラム教徒としてこの課題にどう取り組むかが議論されています。イスラム教をマレーシア社会にどう位置付けるかという議論は、ずっと前から続いていたのだと気づきました。
—『カラム』とはどのような雑誌なのでしょうか。
『カラム』は20年間にわたって200号以上出版された雑誌で、ジャウィ(アラビア文字綴りのマレー語)で書かれていることもあり、まだまだ分析の途上です。現在は雑誌のなかのQ&Aコラムを分析してその成果を発表するのが目標です。このコラムからは、当時の読者の生活や悩みがみえてきて、それがとても面白い。『英語学校に通うとキリスト像を崇めなければいけないのか。』とか、『断食中だが生活のために経済活動をしなければいけない。イスラム教徒でない人になら食べ物を売っていいか。』とか。当時のイスラム教徒の、日常の宗教実践に関する悩みなど、身近に感じられるものが多くあり、実感をともなってイスラム教徒の生活にアプローチできます。このコラムは、津田塾大学の授業でも取り上げています。
津田塾大学へ
—津田塾大学で教員として学生に教えようと思ったきっかけはなんでしょうか。
就職を考えていたときに出会いました。博士論文を出したあと、子育てを始めて、研究生活が様変わりした頃の話です。
研究を続けようにも保育園の入園順位は点数制で決まるので、フルタイムで働いていないと託児もできず、とても厳しい状況でした。そんななかでも、子どもができてから関わるようになった行政や病院といった「世間」では、育児の担当者はお母さんという前提がとても強力で、違和感を感じながらいつのまにか飲まれていました。そのことが妙に悔しくて、研究を続けたい気持ちに火がつきました。津田塾大学の教員募集に出会ったのはそんな頃でした。子供を寝かしつけてから夜更けまで志望書を書いたのを覚えています。
実は、母が津田塾のOGだったので、一方的にですが馴染みのある大学でした。大学院生のとき参加していたアジア農村研究会で教育の楽しさを感じたこともあり、出産と子育てを経て感じた違和感や問題意識もあって、女子学生の意見を聞きたいという気持ちは大きかったです。津田塾の学生は、仕事をすることで社会の役に立ちたい、と思っている人が多い印象があります。キャリアと家族形成の問題はこれからも重要な課題であり続けると思うので、私世代の課題で伝えられることは伝えたいなと思っています。
「人生の学び」とは
—先生にとって「人生の学び」とはなんですか。
私の場合、大学卒業後にそのまま大学院に進んで、社会からある意味で隔絶されていたわけですが、結婚や出産を介して社会との接点が増えたことが転機になりました。マレーシアや東南アジアという、異文化世界のことを調査研究してきたつもりでしたが、実は自分のいるこの社会も面白い問題だらけだと気づきました。そのあたりから、知りたいことも加速度的に増えました。マレーシアの女性史をやるなら日本の女性史も参考になるし、日本で育児に唸っていると東南アジアの家族研究に改めて目から鱗が落ちる。外国をフィールドにすることで、実は日本の私の「今ここ」に目を開かせてもらっているんだなと感じています。外国や異文化という言葉に惹かれる学生さんはとても多いけれど、異文化に触れて自分が得る気づきや、居心地の良さ・悪さみたいなものをとおして、自分が今いる場所のありように気づけることが本当は重要なんじゃないかなと思います。それが「常在フィールド」の心かな(笑)。
今現在、コロナによる制限はあるものの、外国との往来は昔と比べてとても簡単になっているし、日本でも外国人はこれまでにない速度で増えていて、文化的な他者が身近にいることは当たり前になりつつあるけれど、グローバル化って、それを当たり前としてやり過ごすこととは違うと思うんです。むしろ、日常化しつつある変化にしっかりアンテナを張って、違和感を認識することが大事だと思う。日常生活の中であればあるほど、いちいちそういう違和感に立ち止まるのは難しいことでしょう。だからそうした経験を経験として言語化できる人はとても貴重です。大学での勉学をとおしてその違いを言語化できる人材になってほしいと思います。東南アジアは、多民族社会である分、民族や宗教の間の関係調整が日々行われていて、そういう調整にとても長けている社会だと思います。日本には東南アジアと聞くと遅れていて貧しい地域というイメージをもつ人が多く、そんな学生たち対しては、本当にそう?と聞き返すようにしています。
—最後に津田塾の学生にひとことお願いします。
今、コロナ禍ですごく閉塞感があると思います。学ぶ気力、生きていく気力を失ってしまう方もいるという話も聞くので……。けれど、人生のフィールドはずっと続きます。本を読んだり映画を見たりして、外に出た時に発散するエネルギーや問いを育てる時間にしてほしいなと思います。津田塾は留学に積極的な人が多いですし、学生の皆さんの気持ちを考えるとつらいです。それでも潜時有意、焦らないで大丈夫と言いたいですね。
データベース公開→http://majalahqalam.kyoto.jp/eng/