人生と学び
人生と学び #27 - 悩みを考えるための「力」に
多文化・国際協力学科の1年生の必修科目である「1年基礎セミナー」。その担当教員のお一人である同学科の川端浩平先生は、毎回の授業でその広い知識を駆使して私たち学生の手助けをして下さいます。第27回「人生と学び」はそんな川端先生にインタビューをさせて頂きました。
過去の学び
—過去にどのような研究をされていましたか?
大学生の頃に遡った方がわかりやすいかな。
僕はアメリカの大学に通っていたんだけど、高校生の頃は哲学に興味があって……。でも英語で哲学を学ぶのは難しいと思って、日本研究のゼミを選択していました。
日本研究の授業では、アメリカから見た日本の歴史・社会・文化について学びました。特に日本の大衆文化の歴史、社会学、文化人類学の授業が印象に残っています。他にも朝鮮半島の近現代史の授業も楽しかったですね。
いわゆる卒論というものはなかったのですが、その代わりにゼミを2つ選択しました。
1つは美学のゼミで、もう1つは文学のゼミ。九鬼周造の『「いき」の構造』という本で少し長めのレポートを書いて、卒業しました。
それで、そこから大学院に行こうと思ったんだけども、大学4年間をアメリカで過ごしていたから日本語の読み書きの能力に不安がありました。だから大学院は日本の大学院にしようと思って、すべての授業を英語でやっている9月入学の大学院を探しました。英語で読み書きする能力は継続して身につけたかったんです。
今はこういう条件に合う大学院は多いと思うんだけども、当時は数が少なくて、新潟にある国際大学に行きました。この大学院は在学生の7割が留学生で、当時はすごく珍しかったんです。
そこでは国際関係学を専攻して、国際関係学の理論や歴史、事例研究が中心の授業をとっていました。大学院はアメリカ流の授業形態で、授業の中でプレゼンテーションやレポートなど多くの課題が出されたので、毎日準備でキツキツの状態でしたね……。
当時、僕は国際関係学にあんまり興味がもてなくて。他の大学のシラバス*1をネットで調べて、社会学、人類学、文化研究、ポストコロニアル研究、ナショナリズム研究などを独学で学びました。
*1 講義の進め方や目的、評価方法が示された計画書。講義を担当される先生が作成することが多い。
—独学で学ばれたのですね。
そうです。
授業との両立は大変でしたけど、おそらくあの時が一番机に向かっていた時間が長いんじゃないかと思います。
修士論文は1996〜1997年に話題になっていた「新しい歴史教科書をつくる会」*2に関する歴史認識をめぐる論争や、現代日本のナショナリズムをテーマに書きました。
*2 「適正な教科書を新しく作って、子供たちに届けること」と「これまでの不健全な教科書を是正すること」の2つを活動の柱として取り組みを行なっている一般社団法人。
僕は学部生の頃から英語で授業を受けてレポートも英語で書いてきたのですが、学術的な水準ではまだまだ実力が不十分だったので、修士論文はまず日本語で書いて、それを英語に訳しました。この方法は今でも変わっていません。
大学院の博士課程はオーストラリアで学びました。
修士課程の2年間は寒い雪国にいたので、暖かいところに行きたくてオーストラリアにしました。
所在地は首都のキャンベラで、人口は30万人ほどの小都市です。自然も豊かで、よい環境で研究できました。その研究科には現代日本のナショナリズムについて研究するためのよい指導教員とよい研究環境が揃っていたんです。
『ラディカル・オーラル・ヒストリー』を書いた保苅実さんに勧められて、オーストラリアの先住民であるアボリジナルの人を対象としてフィールドワークを始めました。現代日本におけるナショナリズムについて、実証的に考えることにしたんです。
地元岡山をフィールドに選んで、そこで生活している在日コリアンの若者を中心にインタビューをして、調査しました。彼らのアイデンティティや差別経験について話を聞き、その話を基に考察をして博士論文を書きました。この在日コリアンへの追跡調査は今でも続けていますよ。
現在の研究
—そうなのですか?それは次にお聞きしたい現在の研究にもつながってくるのですね?
そうです。僕は割と大人数の人に聞いて調査するよりも、信頼関係を築いていると確信できる1人か2人に焦点を当ててずっと調査をします。
例えば、アイデンティティっていうのは就職や結婚、子育てなんかを経験すると変わってくるんです。その変化なんかも含めて今でも調査を続けています。ホームレスの調査は3〜4年続けていましたが、今はやめてしまいました。
—それはなぜですか?
インタビューでは、信頼関係を構築して話を聞くことを大切にしていますが、ホームレスの方と長期的に関係性を継続することは簡単ではありませんでした。連絡が突然途絶えてしまうこともあるので、1人に焦点を当てて継続的に調査をするのが難しくて断念しました。
それから福島にも行きましたね。震災後、居場所を失って以前より苦しい生活を余儀なくされているマイノリティの人たちの調査を行ったんです。
その頃からメディアについての研究も始めました。それまではナショナリズムや差別の問題を中心に調査をしてきて、いわゆる自分の趣味や好きなことを仕事にしてこなかったんです。好きなことというのは音楽を聴いたり、芸術を楽しんだりすることなんですけど。メディア研究を始めたことで、いろいろなアーティストの方々とのコラボを意識した研究に従事するようになりました。
2011年頃に地元の岡山の朝鮮学校の廃校を使ってアートイベントをやったことがありました。その中で出会ったある在日コリアン3世のラッパーの方がいて、2019年に東京で再会したことがきっかけで移民のラップ音楽や文化の調査をするようになりました。日本社会における人種差別の問題に対抗するヒントを移民ラッパーの文化表現を通じて考えています。
今は彼とコラボしながらライナーノーツ*3を書いたり、ZINE *4として情報発信をしたりしています。
*3 ライナーノーツ(英語: liner notes)は、音楽レコードや音楽CDのジャケットに付属している冊子等に書かれる解説文。収録曲やアーティストの説明が書かれることが多い。ライナーノートとも呼ばれる。
*4 個人の趣味で自由に作る雑誌のこと。 「magazine(雑誌)」もしくは「fanzine(ファン雑誌)」が語源とも言われている。
僕の研究は、どこか遠くにフィールドワークに出かけるわけではないし、社会的に注目されているテーマを追いかけて調査するわけでもありません。むしろ、身近なことで「知っていると思い込んでいるけれども理解が及んでいないこと」を主なテーマとして調査を続けています。
津田塾生へのメッセージ
—最後に津田塾生にメッセージをお願いいたします。
大学生に限らず、私たちは多くの情報や知識に満ち溢れた環境の中でモノを考えます。当然ですが、それらの情報をすべて鵜呑みにするわけにはいきません。
考える「力」を身につけるためには、一つひとつの情報に疑問をもつこと、できるだけ多くの問いをもつことが求められます。その上で大事だと思うことの一つは、自分の「正しい」と思う情報だけでスッキリしたり、物事に白黒つけようとしたりして性急に判断するのではなく、モヤモヤして悩む時間を大切にすることだと思います。そうすることによって、身につけた知識が机上の空論となることなく、「世の中で起きていることを考えて生き抜くための知恵」に変わるのだと思います。
高度情報化社会を生きる私たちは、考える「力」を一部の権力者や資本家、あるいはコンピューターに委ねていてはいけないでしょう。
「自分で悩むことを大切にする。」
そんな簡単で当たり前のことから出発することによって、私たちは考える「力」を自らの手に取り戻すことができるのではないでしょうか。