人生と学び

人生と学び #14 -『セルフいいね!』で内的宇宙を深めよう

 

聴衆を引き込む語り口と親しみやすい人柄で、担当する授業「ことばの世界」の履修者数は300人を超える郷路先生。7年前に津田塾大学に赴任されて以来、言語学の魅力を私たち学生に伝えてくれています。先生はまた、無類の猫好きで、趣味である写真の腕前も学内では有名です。

そんな郷路先生が「ことばの世界」の授業の中でもよく口にされるのが「ちゃんと考えよう」ということば。そのことばに秘められた、先生の英語に対する思い、学ぶことの意義についてうかがいました。

「人生と学び」第14回は、plum garden顧問としても私たちが日々お世話になっている郷路拓也先生の登場です。

大教室で授業をする郷路先生

言語学と音楽、そしてアメリカ留学


—まず、先生の大学時代について教えてください。

「大学時代といえば、まずは言語学ですね。僕は高校生の時に、英語の文法がすごく面白かったんです。でも周りに、『文法が面白い』なんてことに共感してくれる人は全くいなかった。ところが大学に入って『文法論』という授業を受けてみたら、もう延々と文法の話と、文法を研究してる人たちの話だったんです。文法が面白いと思っている人がこんなにもいた!と思ったのね。僕だけじゃないんだ!と(笑)。そこから、『言語学者に、俺はなる!』と決めてしまった。それが大学二年生の時でした。」

—二年生ですか、早いですね。

「そう、二年生。そしてそれからは、大学院の言語学の授業に潜り込んだり、他大学の研究会に参加したり、学会や講演会に行ったり、今で言うとなかなか意識の高いことをしていましたね。たくさん勉強したなあ、と思います。」

—アルバイトはしていましたか?

「色々やりました。塾の講師、喫茶店のウェイター、寿司の配達、他にもたくさん。というのは当時、趣味が音楽だったんですね。洋楽の、若者が苦悩を叫ぶようなロックが好きだった(笑)。YouTubeなんて無い時代だったから、海外のアーティストを聴くにはCDを買うしかない。CD買ったらライブにも行きたくなる。なので、バイトして資金を稼ぐ、という感じ。」

「僕、フジロックフェスティバルの第一回に行ったんですよ、1997年。今でこそ音楽フェスってたくさんやってるけど、あれが日本で初めてで、当時はものすごいことだったんです。『こんなにたくさんのアーティストが?一気にみんな来るの?』って。ただ、その日は台風が日本を直撃して、東京や名古屋で屋内のコンサートが中止になるくらいやばい状態だった(笑)。会場はスキー場で、雨風をしのぐ場所もなく、土砂降りの中で遭難しかけながらステージを観てました。忘れられない思い出です。」


—先生の専門分野は「子どもの第一言語獲得」ですよね。それも大学時代から決まっていたのですか?

「いや、研究テーマを第一言語獲得に設定したのは紆余曲折を経て、です。日本の大学院では文法に関して、言語獲得ではないことを研究していたんだけど、何か違う、という思いが残ってしまって。これを『僕の専門です』とは言えないなぁ、と思って、第一言語獲得の研究をするためにアメリカの大学院に入り直しました。」

—どうしてそんなに言語獲得にこだわったのですか?

「『面白いから』です。この研究分野は謎が多いところが面白いんだよね。人間がどうしてことばを話せるようになるのか、調べれば調べるほど分からなくなる。子どもの実験データを分析していると、『この人たち、なんでこんなことができるんだろう』といつも思います。自分も通ってきた道で、身近なものであるはずなのに、ひとたびよく考え始めると謎の嵐がすごい。」

「たくさんの人が、自分の力や理解をはるかに超えた何かすごく大きなものを目の当たりにして圧倒されたい、という気持ちを持っていると思うのね。例えば高い山に登る人とか、そういうことじゃないかと思うんです。で、それを自然のような外にあるものに見出す人もいれば、僕みたいに内向的な人間で、そういうものを自分の中に見つけるタイプもいる。僕の中には言語の知識がある。それはものすごく複雑で底知れなくて、一体どうやって身につけたのか全然分からない。その不思議さに圧倒されてこうなった、という感じです。」

 —アメリカの大学院ではどんな生活でしたか?苦労はありましたか?

「僕はアメリカに留学するまで海外に行ったことがなかったけど、言うほどの苦労はなかったです。生活面では、家の近くで無差別発砲事件があったりだとか、治安絡みで大変だったことはあるけどね。でも大学院での勉強については特に苦労せず、むしろ日本語ができることで調子良くいったと思うかな。英語と日本語の比較で子どもを対象とした研究テーマはたくさんあったから、ネタに困ることはなかった。日本で大学院を一通り終えて留学してるから、土台となる知識もあったしね。」

学ぶことの意義


—「大学院に行くまで海外に行ったことなかった」って、ちょっと意外です。外国語系の学部を選ぶ人って、もっとどんどん海外に行こうとするイメージがあります。
  
「そうですね、僕は基本的に『とにかく外に出てみたい!』みたいな欲望が全然無いんです、家にいるのが一番幸せ(笑)。本当に必要になってから初めて海外に行って、それで全然大丈夫だった。だから学生には、例えば大学で英語を勉強したからといって、必ず海外に行かないといけないわけではない、と言いたい。それが必須ではない、と。もちろん良いこともあるけど、それをしないといけないわけではないと伝えたい。」
  
「英語を学ぶと、英語を話せるようになることで、外界での活動領域が広がるよね。でも内面が深まるという面もある。例えばそれまで意味のわからなかった洋楽の歌詞の内容が理解できて、『あぁ、こういうことだったのか!』と筋が通ってくる。内的宇宙の整合性が増す瞬間とでもいうのかな。自分の世界が一つ深まって、今までとものの見方が変わったりすることも、英語を学ぶ意義のひとつと言えるんじゃないかなと思います。」
 

—「学ぶ意義」についてですが、私も大学で授業を受けていて、「面白いな」と思うのと同時に、「これ、何の役に立つんだろう」と考えてしまうことがあります。

「『文系は何の役に立つのか』という問題はよく議論されてるけど、僕は大学で学ぶことは全部役に立つと思う。というのは、社会で役に立つものって、結局は人間なんだよね。経済学とか英語学とか、そういう学問そのものが社会を助けるわけではなく、それを学んだ人間が何らかの形で他の人を助けたりすることが『役に立つ』なんだと思う。じゃあ、どんな人間が役に立つのかというと、そこで大事なのは『知性の基礎体力』だと思うんです。」
 
—知性の基礎体力。
 
「そう。情報をどのように自分の頭で整理して、まとめ直して、関係ないとされているものの間に関連性を見つけるのか。そういう力が大切になってくる。そしてそういう力は、どんな分野の学問であろうとそれに真剣に取り組むことで身につくものです。だから知性の基礎トレーニングは、自分が興味のあることを通してやるのが一番効率がいい。『これだったら考えていて楽しい』とか、『この問題に頭を悩ませることにやりがいを感じる』という分野は一人ひとり違うものだから、自分に合っているものを見つけてそれに取り組めばいいんです。それは自分が幸せになることに繋がるし、幸せであることが他の人間も幸せにするための大事な条件になると思うし。だから、『何を学んだらそれが社会の役に立つんだろう』ではなく、『どうやったら自分の糧になるだろう』と考えるといいんじゃないかな。」

—自分の頭の働きのパフォーマンスを高めることを目指せばいい、ということですね。

「そういうことです。例えば僕は、『ことばの世界』という授業で、『ちゃんと考えよう』と繰り返します。その授業では第二言語習得や英語教育に関しても取り上げるんだけど、こういう問題って、みんな最初はとても雑に扱ってしまうのね。例えば、英語のネイティブスピーカーの子どもが英語を獲得することと、日本人が英語を学習することを同じ『英語学習』としてしまう。そしてそこから、『だから英語を学ぶなら子どものうちのほうが良い』と結論づけてしまう。でもそれってものすごく乱暴な話です。ネイティブの第一言語獲得と、日本で外国語として英語を学ぶことは、様々な条件があまりに違いすぎる。まるで事情が違うことを一緒にしたまま大雑把に論じてはいけない。きちんと物事を整理して、もっと思考の解像度を高くしないといけない。特に英語教育の問題は、雑な思考に基づいた政策が、子どもを不幸にしかねないんです。」

「ちゃんと考える。どこが同じでどこが違うのかを細かく見極め、同じ論理が通用するところとそうでないところを分けていく。そうするのは大変なことだし、しないほうがもちろん全然楽だよね。でも、そういう頭の働かせ方ができるようになることが、大学で勉強することの意義でもある。解像度が高い思考をする技術が身につけば、それは人生の多くの局面で活きるし、それができる人が増えることで、世の中が少し良くなるんじゃないかと思っています。」
 

写真と猫


—先生は写真が趣味で、plum gardenにもたくさん写真を提供してくださっています。津田塾大学の非公式Instagramも先生がやっているんですよね?

「そうです。あれは非公式というかたちで勝手にやっています(笑)。plum gardenで使えるように色々キャンパスの写真を撮るんですが、これは別のメディアでも使えるのではないか、と思って始めました。他の大学の公式アカウントに混じって、あまり宣伝くささがない、ちょっと不思議なアカウントになってますね。」

こちらが津田塾大学の非公式Instagramアカウント。小平キャンパスの四季や何気ない日常が素敵に映し出されています。

「写真を真面目に撮り始めたのは四年くらい前、猫を飼い始めた時です。それまでは僕、プラモデルを作るのが趣味だったんだよね。でも猫を飼ったら、猫とプラモって全く両立しない(笑)。で、プラモを諦めて、猫の写真を撮り始めたんです。でも自分が撮った写真を見ると、猫のかわいさが全然収まっていない。本物はこんなにかわいいのに、それが全然撮れていない!と思って。そこから、『どうやったら自分が思うように撮れるんだろう』ということを試行錯誤していって今に至る、という感じですね。」

—写真の魅力は何だと思いますか?

「理屈を理解することが楽しいですね。世の中にあるいい写真を見て、『どうやったらこういう風に撮れるんだろう』と考えて、いろんな設定を変えながら撮ってみるうちに、だんだん『こう撮ったらこう写る』というのがわかってくるのがいい。カメラってデジタルな機械で、同じ場面で同じ設定でシャッターを切ったら、誰が撮っても同じ写真になるはずなんですよ。これが例えば絵だと、自分の手が自分の思う線を引いてくれるようにはなかなかならない。カメラのシャッターは1/60秒で切ったら誰が切っても1/60秒になるから、よりよく撮るための方法が分かったらそれをすぐ実践できる、そこが良い。」

—先ほどお話に出ましたが、先生は猫好きでも有名ですよね。plum gardenに「小平ねこ歩き」という記事を寄稿されたこともあります。

「猫は癒しですよね。言葉が通じないことも含めて、決して完全に思い通りにならないところがいい。そういう奴が信頼してくれたら、それはとても嬉しいんです。僕は世界中の猫と友達になりたい、という欲望があります(笑)。普段は出不精だけど、猫に出会うために出かけるのなら全然億劫じゃないよ。実際、時々猫に会うために旅に出ます。」


先生の家の猫「ぐら」とのツーショット

猫に会いに沖縄の竹富島に行った時の写真

SNS映えと内的宇宙

 
—最後に学生へメッセージをお願いします。

「津田塾生を見ていると、焦っている学生が多いなあと思います。大学生の間に何か成果を上げなきゃ、実績を作らなきゃって焦っている。で、そうした意識が、『SNS映えする』成果や実績に引っ張られているように見えるんだよね。例えば、海外ボランティアに行ってアフリカで井戸掘って現地の子と肩組んで写真撮った、それをFacebookに上げたらいっぱい『いいね!』がつく、そういうのを目にして焦ってしまっている学生が多い。海外ボランティアが悪いことだとは全然思わないよ。でも、そういう『映える』活動に比べて、勉強した、本を読んだ、自分の思考が深まった、などということが本質的に劣っていることではない、と伝えたい。」

—確かに、周りの学生が海外やインターンに行って活動してる写真とかを見ると、どうしても焦ってしまいます。

「僕は学部時代、留学もしなかったし、インターンやボランティアもしなかった。卒業旅行にも行かなかったけど—別に友達がいなかったというわけではないよ(笑)—それでも価値のある体験はたくさん得られる、ということは僕自身が経験してきた。それはつまり、いろんなことを学ぶことで、自分の中身が変わる体験をすること、内的宇宙が変わることなんです。去年の授業では分からなかったことが分かるようになった。それまで関連を全く意識しなかった事柄が繋がって見えるようになった。そういう『私が私の中で少し変わった』ということの意義をみんなにわかってほしいし、津田塾大学という大学が、そういう『映えない』成果をちゃんと評価して、祝福するような場所であるべきだ、と思っています。」

「『映える』ことばかりを気にする必要はないんだよ。むしろ映えることでしか満足を得られないことが怖い。他人の評価を気にして、不特定多数の『いいね』という、あてにならないものでしか自分の心に必要な栄養を得られなくなってしまうと危ないよね。もっと自分自身の中から満足を引き出せるとよい。例えば自分が去年書いたレポートを読んで、『あぁ、ここよく考えてるな』と思って、自分に『セルフいいね!』を与えることができるような、そういう満足の仕方もある。それができたら生きやすくなるし、成長しやすくなるんじゃないかな、と思います。」

「あと、僕が大学を辞めてアメリカに行くという噂があるらしいけど、辞めないよ!2018年度は一年間、国内研修に行くのです。一年間津田塾で授業をしないだけで、2019年には戻りますよ!」