津田塾探訪
津田塾探訪 #6 - 探検!ハーツホン・ホールの地下室を探せ!
非常階段
まずはホールの北東へ。少し突き出た外壁の小さな窓から覗く階段、気になった人も多いでしょう。実はここ、非常階段なのです。出入り口は2・3階教室と1階の外側にあり、他の場所にある階段よりも幅の狭い階段が螺旋状に続いています。ほとんど使われていないため、壁は真っ白。窓から差し込む光が壁に反射して神秘的な雰囲気をつくり出しています。
近くに上階に通じる階段のないエリアであるだけに、「普段から使うことができたら移動が楽だろうな」と考えてしまいますが、ここは我慢。緊急時には出入り口が開放され、重要な避難経路となるので覚えておきたいところです。
4階・屋根裏
さて、次はホールの4階へ行ってみましょう。4階といっても、そこにあるのはH401教室のみなので、普段利用する方は少ないかもしれません。この教室の醍醐味はなんといっても窓から覗く景色。ハーツホン・ホールに続くロータリーと青々と生い茂る木々の調和がなんとも美しいです。
体を縮めて扉をくぐると、突然目の間に大きな空間が現れます。暗闇に点々と灯る明かりや細かなコンクリートの欠片だらけの足元、ひんやりとした空気、ほこりっぽい匂いが、まるでどこかの遺跡にいるような気分を誘います。足元には無数の配管が通っており、この中にはまだ石炭や重油、ガスで暖をとっていた時代にそれぞれ使われていた管も当時のまま残されています。
赤い鉄枠は「トラス構造」という仕組みで、屋根に沿った三角の枠組みが高い強度を実現しています。その大部分は今でも建設当初のものがハーツホン・ホールの屋根を支え続けており、当時の作業の丁寧さを感じることができます。
この「トラス構造」がひときわ多く適用されているのが、ハーツホン・ホールで最も広い部屋、H315講堂の天井裏です。2011年の東日本大震災をうけて、「トラス構造」に支えられた天井を、建設当初の「ラス網にモルタル」という建築様式からボードに改修し、軽くするなどの工夫がなされました。
また、ここはアナ・コープ・ハーツホンが使っていたトランクや家具が保管されていた場所でもあります。1984年1月、そのトランクに数多くの津田梅子直筆の書簡が保管されているのが見つかりました。その手紙は、津田塾大学の教職員によって整理され、一部は『津田梅子書簡集-"The Attic Letters"』という書籍となって出版されました。トランクなどの一部は図書館2階の梅子資料室にも展示されているので、ぜひ足を運んでみてはいかかがでしょうか。
地下室
ハーツホン・ホールではそれぞれの教室に番号が付けられています。例えば1階の教室にはH101、H102…、2階はH201…、3階はH301…というように、各階の数字が百の位に当てられるのです。このように考えると、最も早い教室番号はH101でしょうか。いいえ、実は「H001」なる部屋が存在するのです。その場所はハーツホン・ホール0階、ではなく、なんと地下室にあります。
現在、H001をはじめとする地下室は、主に倉庫や電気室として使われています。しかし、かつての様子は今なお各所に見て取ることができます。例えば黒い煤の残るレンガ造りの空洞。これは、かつて「蒸気暖房」と呼ばれる暖房方法が用いられていた時代のボイラー室の煙突です。ハーツホン・ホールの竣工当時からおよそ50年間にわたり使用されており、暖房用に燃料を燃やして作った蒸気をホール内の配管に巡らせることで各部屋を温めていました。1980年代初め、大学ホール地下に旧エネルギーセンターができて、その役目を終えましたが、ガスや電気のエアコンが主流になった今、こうして昔の姿を見ることができるのも歴史ある建物ゆえかもしれません。
共同溝
最後にお見せするのは再び地下の世界です。ただしこちらは地下室とは異なり、部屋ではありません。狭くて長い、通路の世界です。
一歩足を踏み入れると中は真っ暗。大人が立って歩くのが精一杯の通路を、補助用の懐中電灯を片手に進みます。あちらこちらにパイプが張り巡らされた空間は、スパイ映画のワンシーンを彷彿とさせます。パイプを慎重に避けながら歩くことおよそ10分。行き止まりに遭遇し、今回取材が可能だった部分はここまでとなりました。ずいぶん長い道のりだと感じましたが、これでも地下に広がる共同溝のわずか一部分であるというので驚きです。
これまでも、これからも。
1931年の竣工以来、津田塾大学のシンボルとして今なお現役の校舎であり続けるハーツホン・ホール。今回初めてその裏の姿に迫りました。普段は目にすることのない角度からその姿を目にしたとき、改めて津田梅子やアナ・コープ・ハーツホンの作り上げた歴史ある学び舎であることを実感することができます。ハーツホン・ホールは、これまでも、これからも、彼女たちの意思を引き継ぎ、学生の学びを支える校舎であり続けるでしょう。
※この記事で取り上げた場所は、安全・管理の面から普段は立ち入ることができません。今回はplum gardenの企画として管理課の特別な許可のもと、安全に考慮した上で取材を行いました。