津田塾探訪
津田塾大学の今と昔~同じ場所・同じ構図で撮影された写真で比較~
多くの建物が建築当時の優美な姿を残す津田塾大学。この記事では、津田梅子資料室の協力のもと、津田塾大学のキャンパスが小平に移転した1931年以降の小平キャンパス構内の変遷をたどります。
当時の雰囲気が色濃く伝わる写真の数々と、plum gardenの顧問である郷路先生が撮影された現在の写真とともに、同じ位置から小平キャンパス構内の今と昔を比較していきます。
ハーツホン・ホール
本館校舎であるハーツホン・ホールは1931年に建築されました。端正であり、凛々しさを感じさせる壮美なその姿は津田塾大学のシンボルともいえます。周辺の木々の成長や変化が年月を物語る一方で、その気品漂う繊麗な佇まいは変わらぬまま。現在も、そしてきっとこの先も、津田塾大学に携わるすべての人びとを迎え入れるでしょう。
正門からハーツホン・ホールまでの道
ハーツホン・ホール側から中庭にかけて
現在もお洒落な姿を保つ新館は1960年に建築されました。面影は変わらないままですが、一階部分にあたる場所に有ったピロティはセンターオフィスとして生まれ変わり、各種事務手続きのため多くの学生が訪れる場所となっています。また、写真を比較すると二階建てだった部分が三階建てになっており、この間に増築されたことがわかります。
新館、ミロのヴィーナス像前
ピロティの涼しげな様子が鮮明に見て取れます。柔らかな日差しをうけ象牙色に輝くミロのヴィーナス像と、その足元の池は変わらぬままですが、周囲の草花は増え、あたたかな印象が一層強くなりました。
グラウンド
春には優しい色に染めあがる桜の木々も、かの季節を終えるとすっかり透いたみどり色に衣替えをします。そんな木々を映す池の姿を現在見ることはできません。その代わりに柔らかな芝生が敷かれたグラウンドでは、スポーツに励む学生たちの活き活きとした声が響き渡ります。
東寮、西寮前
のどかな雰囲気のなか、学生らが和やかに談笑している様子が当時の写真から伝わってきます。場所こそ変わりましたが、学生たちの語り合いは今日もキャンパスのどこかから聞こえてきます。
ピロティから中庭
現在はもう見ることのできない、ピロティからの貴重な一枚です。
津田梅子の墓所
キャンパス構内の端、グラウンドとテニスコートの更に奥まった場所で、本学の創立者である津田梅子は眠っています。静かに佇む墓は、当時とほぼ変わらぬ姿で学生たちを見守り続けています。
新館からハーツホン・ホールへの道
多くの人びとが行き来するこの場所には、現在では見られない屋根付きの通路が存在していました。お馴染みの藤棚と談話スペースは、今も昔も学生たちの親睦を深める場として使用されています。
記念館食堂裏の休憩スペース
津田塾大学の食堂は改装工事が行われ、2018年にリニューアルオープンしました。そんな食堂裏のこの場所では、柔和な木漏れ日が差し込み、のんびりとした時間が流れています。変わらない佇まいのベンチは、なんだか懐かしい気持ちにさせられます。
新館特別教室側から見た中庭
当時の写真からは、芝生ではなくタイルが敷かれている部分があることが見受けられます。繊細なデザインが施されたオブジェ等は、位置こそ移動していますが変わらない姿のままそこにあります。人びとが行き交う優美な中庭では、屈託のない笑顔で団らんする学生たちの姿を現在も変わらず見ることができます。
別角度からの一枚です。
津田塾大学キャンパスのさまざまな写真は、津田梅子資料室にて保管されている歴史的資料のデジタルアーカイブにて更にご覧いただくことが可能です。