人生と学び

面白さを追求する、充実した生き方 新本史斉先生

皆さんは、国際関係学科と聞いて、何を学ぶところだと思いますか?「国際関係」からいきなり「文学」を連想する人は恐らく少ないでしょう。津田塾大学の国際関係学科には、国際問題や地域社会、思想に政治、経済、文化と、実に様々な専門を扱う先生がいらっしゃいますが、新本先生はその中では少し珍しい「文学専門」の先生です。
「文学に関する知識が豊富で、真面目で冷静沈着な先生」。二年間、新本先生の講義を通して私が受けた印象です。しかし、ある日の授業中、新本先生がかつての学生時代を語ってくださってから、そのイメージは一変。普段の落ち着いた雰囲気からはかけ離れた意外なエピソードに「もっと新本先生の学生時代が知りたい!」と、私の好奇心は掻き立てられたのです。そうして質問を重ねていく中で見えてきたのは、「面白さを追い求める」新たな一面でした。
連載『人生と学び』、第8回目は、国際関係学科の新本史斉先生に懐かしい学生時代をお話していただきました。



遊びを楽しむ学生時代

「小学生の時は、本を読むのが大好きで、いつも本を読んでましたね。でも、中学に入ってからこれだけじゃつまらないと思って、新しいことを始めようとバスケ部に入ったんです。そこから、今度はほとんど本を読まない人間になってしまって……。中学高校では体育会系でした。高校二年生の時に腰を悪くしてバスケをやめるまで、本とは少し距離がありましたね。」

-現在はドイツ文学を専門としている新本先生。講義での落ち着いた話し方からは真面目な印象を受けますが、意外にも大学時代には、遊びが中心だった時期もあるといいます。

「一、二年生の頃は遊びましたね。サークルも入っていて、家庭教師のバイトもして、楽しかったです。でも、それだけでは物足りなかったので、ディスコでウェーターもやっていました。その頃、勉強はほとんどしていなかったです。でも三年生になって、ドイツ文学を専攻してからは勉強しましたよ。それこそ図書館が閉まる時間まで。」



心身が充実しているということ

-新本先生が卒業された東京大学では、三年生になってから学部を決め、専攻を選びます。先生は自分の進む道をどのように考えていたのでしょうか。

「最初は、社会学を専攻して就職しようかな、と思っていました。あと、ドイツ語のほかに中国語も勉強していたので、東洋史か中国文学を学ぼうかと思っていた時もありました。では、何でドイツ文学にしたかというと、はっきりとした理由はないんです。でも、一、二年生の時は、遊びながらもドイツ語は結構ちゃんと勉強していました。単なる語学の授業ですけど、ドイツ語を読んでる時って妙に心身ともに充実して、ポジティブになるんです。その感覚だけでドイツ文学を選んだところがありますね。」

-そういえば先日の授業で、文学部の人はやりたいことを直感で決めるとおっしゃっていましたね。

「そうですね、直感で決めましたね。大抵大切なことって、僕は直感で決めるんです。でも直感といっても根拠はあるんですよ。心身ともに充実してるって言いましたけど、はっきりした意味とかは分からなくても、ドイツ語を読んでる時の自分っていうのは相当良い状態。それは確信があるわけです。あと、中学高校ではほとんど本を読んでいませんでしたけど、文学に関してはめちゃくちゃ自信があったんです。それは、自分がテキストに向かい合ってるこの感覚はまず間違いないという確信でした。テキストを読んで、刺激されて、いろいろ感じたり考えたりして、また先を読むというこの感じが、自分として間違ったことをしてないなって。」


自分の研究対象と出会うまで

−ドイツ文学研究の道を進む中で、様々な研究対象との出会いがあったといいます。しかし道は険しく、研究は一筋縄ではいかなかったそうです。

「昔からヘルマン・ヘッセが好きだったので、ヘッセが好きですって言ってゼミに入りました。でも入ってみたら、どうもヘッセって研究者の間で評判悪いんです。僕は結構周りの声を気にする人間なんですが、それに左右されるということはないので、その後もやっぱりヘッセを研究しようかなって考えてました。ただし卒論に関しては、ドイツ文学史の授業でクライストという作家の話を聞いて、面白いなーと思い、即決でこちらを対象とすることにしました。」

「でも正直言って、難しくて卒論が上手く書けなかったんです。自分の力が足りなかった。それで、この後どうしようかなって悩みました。結局大学院に入るところで、周りの噂はどうであれ、ヘッセで論文を書いてみようって思ったんです。修士二年間よく勉強しましたね。でもそのうち、ヘッセが自分の研究に向いてないってわかってきたんです。これは研究しているとよくあることで、こっちが研究のポテンシャルを上げていけばいくほど、対象がそれに応じるだけのものを持っているかが見えてくるんです。それでもテーマを変えるには遅くて、修論ではヘッセの一番最後の小説(『ガラス玉遊戯』)の『遊び』のモチーフについて書きました。『遊び』というのは、ドイツ文学における一つのテーマです。そのテーマは、昔から、それこそ大学時代に自分が遊んでいる時から関心があったことでした。でもヘッセの小説は、『遊び』を作品の主題に据えてしまったせいで、すごくまじめな『遊び』になってるんです。ヘッセは『遊び』を論じながらテキストは何も遊んでいないという致命的な問題を抱えている、とネガティブな結論を出して終わりました。」

「そこでまた困りましたね、次は何しようって。そんな時に出会ったのが、今も研究しているローベルト・ヴァルザーという作家です。ヴァルザーはもうテキストそのものが遊んでいるんです。読んですぐに、間違いなく自分の研究対象だ!って思いました。そこからは作品の可能性を十分に引き出す論文を書いて、どんどん研究が発展していったと思います。紆余曲折はあったけれど、そのおかげで、ヴァルザーという僕の研究対象に出会えた。紆余曲折も必要ですね。」


今でも翻訳の仕事の関係で、よく海外に行かれるそうです。写真はスイスのベルンにて、他言語のヴァルザーの翻訳者たちと。

ドイツへの留学

-新本先生は大学院博士課程の三年生の時、ドイツの大学に留学をされました。留学を通して、先生は何を見てきたのでしょうか。

「ドイツに留学してみて分かったのは、日本と一緒で、ドイツでも面白い先生と退屈でつまらない先生がいるということです。面白かった先生は変な人でした。いろんな噂が立つ人で、夜になると女装してあの飲み屋に行ってる、とか(笑)。人としての面白さは多分、授業の面白さにもつながっている。面白い人はやっぱり面白い研究をやってるんです。逆に、スーツを着てネクタイを締めて、この本に載ってこの学会に出て大変だった、みたいなことばかり言う面白くない先生もいました。晩年のヘッセの問題とも重なりますが、文学研究がまじめな職業になっちゃってる人がだめなんですね、僕は。何が楽しくてフィクションである文学をやってるのかが見えてこないんですよ。というわけで、丁寧に理路整然とやっていても、心に訴えかけてこない授業には、僕は反応できませんでした。」


面白いことに忠実になる

-過去を振り返ってみると、新本先生の「面白いことが好き」という変わらないスタンスが見えてきます。

「小さい頃にやっていた、本を読むということが、今の自分を形作っていると思います。子どもの時は、その本の世界に入っていくような読み方をしていました。今はそうではないけれど、本を読む時に、分析的・批判的に読む以前に、面白さが伝わってくるかどうかを上位の評価基準にしているところは変わらないでしょうね。本っていうのは面白くないと読まないです。」

「面白いことに忠実です。素直なんですよ。面白くないと死んだ魚みたいな眼になっちゃう(笑)。」



「面白い」を逃さないで

-ドイツ文学に浸り、「自分にとって何が面白いか」を大切にしている新本先生は、毎日がとても充実しているといいます。そんな新本先生から、津田塾生へのメッセージをいただきました。

「津田塾にも、僕みたいに遊びやバイト中心の学生もいると思います(笑)。でもそういう人たちって、自分にとって何が楽しくて面白いかを知っている人が多いんですよ。その『面白い』ってことは、僕が『遊び』そのものをテーマにしたみたいに、それに関して一歩下がって考えてみることもできるんです。だから遊んでいる自分と勉強している自分をあまり分けないでほしい。まさに自分が楽しい、面白いと思っているところに新しい道の入り口はあるかもしれません。」

「自分が進んだ先で、何か楽しいことや、面白いことがないはずがないんです。いろんな人、いろんな場面に出会うのだから。自分が今いる場所で、自分の心の声に耳を澄ませば、いくらでも面白いことに出会えると思います。ただ、その出会いを逃す人、逃さない人がいる。自分の反応に注意深くしていると、出会いは逃しませんよ。」






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2016年7月、新本先生が、「メルク『かけはし』文学賞」を受賞されました。この賞は、ドイツ語圏の作家と現代文学作品を日本で広く紹介するとともに、翻訳者の優れた業績を称えるものとして、1年おきに審査が行われ授与されるものです。新本先生、おめでとうございます。