わたしと津田塾大学
わたしと津田塾 #10 - 学生の目線で考える
大駅 康也さん (学生生活課)
現在、津田塾大学でどのような仕事をしていますか。
津田塾大学との出会いを教えてください。
津田塾大学で働く前は、メーカーの営業マンをやっていましたが、母親が病気になったことをきっかけに転職を考えるようになりました。転職は30歳ぐらいまでじゃないと難しいんです。そのとき僕は29歳だったので、「年齢的にも転職するならこのタイミングかな」と考え、思い切って転職することを決めました。大学時代の友人が大学の職員をしていたので、「大学の職員というのもいいな」と思い、大学の職員の募集を探しました。そこで、たまたま最初に津田塾大学の職員の募集を見つけて応募しました。それが僕と津田塾大学との出会いですね。
メーカーと大学職員では仕事が大きく異なりますが、大学で働き始めて、どのように感じましたか。
メーカーに勤務していたときは、営利が目的だったので、まず利益を出さなければいけませんでした。だからよく怒られたりもしてましたね。もちろん、怒られることは楽しいことではありませんが、すごく刺激のある職場ではありました。反対に、大学というのは、営利を目的としているわけでも、他の大学と競争するわけでもありません。だから、それまでの営利を目的としていた職場と比べると、穏やかな職場だなと感じました。また、大学で働き始めた頃は、前の職場との違いに驚くこともありました。例えば、他の大学との研修会ですね。他の大学は敵というわけではないので、いろんな大学の職員が集まって、合同で研修会を行うことがあります。そこで、「私たちの大学ではこんなことをやっているんですよ」と自分の手の内をお互いさらけ出すんです。一般企業では、ライバル企業と一緒に研修するなんてありえません。だから最初の頃は、そんなふうに合同で研修会を行うことや、他の大学と友好関係をもっていることにすごく違和感がありました。
大学職員の仕事に、やりがいや楽しさを感じるようになったきっかけは何ですか。
楽しいと感じることが増えたのは、学生生活課に配属されて、学生と関わりをもつようになってからですね。津田塾大学に就職して一番はじめに配属されたのは経理課でした。経理課は学生との接点が少ない部署なので、必要以上に学生と関わりをもつこともなく淡々と仕事をしていました。その頃は、やっぱり女子大なので、学生と仲良くなりすぎてはいけないと思っていて、学生と会話するときも一歩引いていましたね。しかし、学生生活課に移動してからは学生と会話をする機会がとても多くなり、その一歩引いて話している感覚が変わりはじめました。特に、2015年度から津田塾祭(以下『塾祭』)の担当になったことが、その感覚が変わる大きなきっかけでした。塾祭の担当になるまで、実際に塾祭の企画に携わったことがなかったので、具体的に何をすればよいのかよく分かっていないところがありましたし、学生(塾祭実行委員会のメンバー)も2014年度から新しい組織として生まれ変わったばかりであったため、手探りで運営している状態でした。そこで、他の大学の学園祭実行委員会の学生にアポイントを取り、学園祭の運営のためにどういう活動をしているのかを聞きに行きました。それを参考にして、2015年度の塾祭までの予定を考えたり、塾祭実行委員の学生と一緒に、塾祭をどういうものにしたいかなどを何度も話し合いました。そうしているうちに、自分自身も実行委員の一員のようになって、自然と学生と同じ目線で話せるようになっていました。塾祭に向けた活動を通して、「一線を引いて学生のサポートをする」のではなく「学生と同じ目線で物事を考え、話せるようになったこと」で、大学の職員という仕事を「楽しいな」と感じるようになりました。
津田塾大学の学生の印象を教えてください。
とにかく真面目で、すごく勉強しているなと思います。多くの学生が、食堂で授業の予習や復習をしているのには本当に驚きますね。あと、電子辞書の落とし物がすごく多くて、みんな同じ白色で同じメーカーの電子辞書を使って勉強しているんだなと感じます(笑)。
学生生活課の職員としての、今後の目標はありますか。
二つ目の目標は、一つ目と矛盾しますが、ゆくゆくは学生からの相談がないような環境にすることですね。学生からの相談がないということは、学生の生活が上手くいっているという証拠なので、相談がないということは良いことだと考えています。だから、現実的にはかなり難しいですが、相談された点を徐々に改善していき、学生のみなさんが何も相談することがないような学生生活を送れるようにしたいと思っています。