津田塾探訪
津田塾探訪 #5 - クリスマスツリーの謎にせまる!
本格的な冬の到来を迎え、街中が華やかなイルミネーションで彩られる季節になりました。津田塾大学でもハーツホン・ホール前のヒマラヤ杉には、毎年12月にクリスマス・イルミネーションが飾られます。生協で販売しているオリジナルのポストカードでも使われるなど、すっかりお馴染みとなった津田塾のクリスマスツリーですが、いったいどのような経緯で飾られるようになったのでしょうか。
今回の「津田塾探訪」は、クリスマスツリーの謎に迫ります。
きっかけは職員の雑談から
クリスマスツリーの歴史を追うにあたり、津田塾大学を卒業された先輩方に聞いてみました。しかし、皆さん口を揃えて「1年生のころから点灯していた」という話ばかり。そこで、前回の「ミロのヴィーナスの謎を追え」でもお世話になった、企画広報課の斉藤さんにお話を伺いました。
- 津田塾のクリスマスツリーは何年前から点灯しているのですか?
「何十年も前ですね。私が学生生活課に勤務していた頃には、学生向けに『いんふぉめいしょん』という学内のさまざま行事をお知らせする冊子を作成していました(現在は廃刊)。その冊子でクリスマスツリーの始まりを取材したことがあります。」
- その『いんふぉめいしょん』という冊子は学生生活課に残っているのでしょうか。
「すでに破棄されているかもしれませんが、調べてみましょう。」
斉藤さんに確認していただいたところ、当時発行されたものがきちんと保管されていました。クリスマスツリーの記事が掲載されたのは1996年12月発行号。今から19年前に学生生活課の職員の方々によりつくられたものとのことです。
記事によると、1984年頃に「ヒマラヤ杉を飾り、その下でクリスマスキャロルを歌いたい」という3人の職員の方々の雑談から、イルミネーション計画が始まったようです。
しかし、この計画を実施するには大学から許可を得る必要があり、また、多大な経費がかかるため思い通りに事は進みませんでした。 特に大きなヒマラヤ杉にどのようにしてイルミネーションを飾りつけるかが問題でした。
そこで出されたアイディアが、植木職人に木に登ってもらい、電球を設置するというものでした。そして定年で退職する津田塾OGの職員の方に費用を寄付していただいたことで、計画は実現されることになりました。
「今は造園業者にお願いして飾り付けをしていますが、最初の頃はあまりの高さに植木職人が恐れをなしたため、津田塾の職員が木に登って作業をしていました」と斉藤さん。
そして1986年12月1日、津田塾にイルミネーションが灯りました。 当時の学生たちの反応についてはわかりませんでしたが、私たちが初めて見た時と同じように感動したことでしょう。
ツリーが飾られるまで
ハーツホン・ホールの高さを超える大きなイルミネーションですが、どのように飾り付け作業がされるかを見てみましょう。
毎年、イルミネーションの電球をヒマラヤ杉に吊るす前に、本館前の芝生で2週間ほど点灯テストが行われます。新入生は、これが津田塾のイルミネーションだと勘違いすることもあります。
点灯テストが終わると、高所作業車でヒマラヤ杉にイルミネーションが吊るされます。一日がかりの作業です。
かつては津田塾の職員、そして造園業者の方がヒマラヤ杉に登って作業をしていましたが、今では高所作業車を使用しています。
今年は津田塾祭でも点灯
(今年の津田塾祭の様子については、「キャンパスレポート 2015年11月」の記事をご覧ください。)
イルミネーションでにぎわう12月。毎年各地で華やかなツリーが見られますが、津田塾大学のツリーは『いんふぉめいしょん』の挿絵にあるように「卒業してからも思い出す」風景となってるのではないでしょうか。
3人の職員の雑談から始まり、現在まで飾られてきた伝統のツリー。これからも輝き続けてくれることを祈っています。
それではみなさん、メリークリスマス、よいお年を。