人生と学び
複雑性を愛そう 北村 文
津田塾大学には、英文学科と国際関係学科の横断コースである「多文化・国際協力コース」があります。コースには4つのユニットがあり、そのなかの一つ「多文化・言語教育ユニット」を担当されている北村文先生は、ジェンダーやアイデンティティといったテーマを専門とする社会学の研究者です。北村先生は、受講生が大人数の授業を持っていらっしゃらないため、「どんな先生なのかよくわからない」という津田塾生も多いのではないでしょうか。私も1年生のころは、「授業がとても厳しいらしい」「全文英語のメールが届く」という噂を聞く上に、麗しい外見が現実離れした雰囲気を醸し出していて、近づきがたいイメージを持っていました。しかし、ある日先生の研究室を訪ねた際、私の北村先生に対するイメージは一変。茶目っ気たっぷりの愛らしい先生の魅力にすっかりはまってしまいました。
今回の「人生と学び」では、北村先生にご自身の大学時代のお話や津田塾大学との出会い、人生における学びについてお話を伺いました。普段からは想像できないびっくりするようなエピソードから、謎のベールに包まれた北村先生の素顔に迫ります。
迷いの中で見つけた社会学
— どんな大学時代を過ごされたのでしょうか。
「高校時代は世界で活躍したくて、日本語教師になろうと思っていました。英語が好きだったこともあり、日本課程に入りましたが、大学で言語学を学ぶ中でなんか自分のやりたいことと違うのではないかと思い始めて、1、2年生の時は、これでいいんだろうか、とずっと悶々としていました。高校生の自分は英語ができると思っていましたが、大学だとみんなできて当たり前で、大学に入ったばかりのころはむしろ英語ができない方でした。リスニングのクラスが一番下だったことは、今でも忘れられません。けっこう大学の外で活動できることもあったので、大学にはぎりぎりしか行っていませんでした。」
— 大学生時代に惹きつけられた外の活動とは、なんだったのでしょう。
「日本に住む外国人の方をサポートする民間のインフォメーションセンターでアルバイトをしていて、外国の方とお友達になったりして、大学生1人じゃ行けないような大人の世界にいろいろ誘ってもらって行きました。そんな風にだんだん活動範囲が広がっていって、昼間は大学に行って、夜はアルバイトをきっかけに出会った人たちと活動するという、二つの世界を行き来するような感覚が気持ちよかったです。」
— 大学では日本課程を専攻していましたが、どのようにして現在の専攻であるジェンダー研究にたどり着いたのでしょうか。
「二つの世界を行き来するような生活の中で、状況によって自分というものが形を変えることに気づいて。この人の前ではこうだけどこの人の前ではこう、と自分を変えることはすごく面白いと思って、私がこうやっていろんな自分を抱えているならば、他の人もそうなんじゃないだろうかと思いました。その時に「女性」という要素は大きいと思って、「女である私」をずっと考えていく学問であるジェンダー研究をやりたいなと思いました。大学でも社会学の先生にはとてもお世話になりましたが、もっと勉強したくて、大学院に進学することを決めました。指導をお願いしたかった先生が二人とも社会学者だったので、社会学を勉強しようと思いました。だから社会学は後で、ジェンダー研究が先ですね。」
— 大学院ではとても勉強した、という北村先生。辛かった経験も話してくださいました。
「研究はいっぱい失敗したし、なかなか分かってもらえなくて苦労しました。大学院では批判し合うことがデフォルトだったので、安田講堂の前でよく泣いていました。その頃が人生で一番痩せていて、病的でしたね。なんとか修士論文まで書いて、このまま続けるのはもうしんどいし、国際的な場での日本女性の研究をしていたので、籍は大学院に置いたままでハワイに行きました。」
— 暖かいから、という理由でハワイに赴いた北村先生。ハワイではどのような生活をされたのでしょうか。
「ハワイでの生活は楽しくて、まるで夢のようでした。ハワイを満喫したかったけれど、アメリカの大学院はとても勉強させられるので、宿題とパソコンを持ってビキニを着て自転車でビーチに行って、ビーチでラップトップを広げて勉強していました。それでみんなに奇異な目で見られて、観光客にも二度見されていましたね。あの日々は本当に楽しかったです。ハワイにいた時は、髪の毛も自分で切っていました。私にとっては今のこんなに長い髪の方がコスプレです。長い方が朝もパパっとまとめるだけで楽なので、惰性でこうなっていますが、なんだかしっくりきていません。」
「黒い服ばかり着ているのは、性格が根暗だから。黒い服を着ていると落ち着くので、ハワイでも毎日黒い服を着ていました。『こんなに暑いのに真っ黒の格好でうろうろしないで。お葬式に行くの?』って、周りからよく言われていました。」
— どのようにして、津田塾大学と出会ったのでしょうか。
「その後津田塾大学の求人を見つけた時に、うわどうしよう!と思って。もうちょっとして冷静になってから見ようと思って、怖くて見ないふりをしました。ほんとにそのくらい行きたかった。行きたいところに来ることができて、素晴らしい学生さんがいらっしゃって、すごく幸運だと毎年思っています。外から講師をお呼びする時とかも、学生がすごくいいですからって自信を持って言えますね。そんなに目立つ感じじゃないけど、静かに情熱を燃やしている感じが好きです。」
複雑なことを複雑なままで
— 最後に、読者へ向けて、ご自身の経験から得られた学びについて教えてください。
「私たちってひとりひとり複雑ですよね。その複雑な人間同士が絡まっている複雑な私たちの世界のことを、複雑に考えて、複雑に言える人になってほしいです。」 「あなたはこういう人だよねって言われるのが、私は昔からすごく嫌でした。両親が教員なので、先生の子だとよく扱われたのですが、それがすごく窮屈で嫌でしょうがなかったです。それで逆に悪いことばっかりすると、今度は悪い子っていう風にしか見てもらえなくなって、ちゃんと勉強しているのも掃除しないのも両方私なのに、なんで私をまるっと見てくれないんだろうと思っていました。」
「このような研究をしていると、自分が傷ついて、私もいろんな人をたくさん傷つけた結果、物事を単純に捉えると人が傷つくということにたどり着きました。人間って単純ではなくて、いろんな面があって、複雑なものを単純に分かりやすくした瞬間にいろんなものがこぼれ落ちてしまいます。そのそぎ落とされてきた部分をもう一度くっつけ直す作業を私は一生懸命していて、皆さんもそういう目で見てほしいです。私たちには、もやもやのしんどさに耐えられる強さや、分からないけれど考え続ける耐久力が必要だと思います。大学では背後にいろんなものを抱えてごちゃごちゃした自分を大切にしていいと思うし、自分がそうってことは人もそうだから、複雑性を大事にしましょう、ややこしさをむしろ愛しましょうと伝えたいです。」