津田塾探訪
津田塾探訪 #9 - 驚きの歴史!知られざる岡島記念チャペルの姿
津田塾大学の敷地内に佇む、津田梅子記念交流館。ここでは、TOEFL対策や「翻訳を体験しよう」等の講座が開講されるほか、ロビーでは写真や絵画の展示も行われ、在学生や地域の方々の憩いの場として親しまれています。7月には「夏休み子ども英語プログラム‐津田塾生とつくる英語劇」も行われ、多くの人で賑わいました。
この交流館の一角にあるのが、岡島記念チャペルです。「あるのは知っているけれど、まだ一度も行ったことがない……」「岡島さんって誰だろう……」そんな学生の声が聞こえてきそうですね。特に1年生は、交流館そのものに足を運んだことがない人も、多いのではないでしょうか。
それでは早速、チャペルの驚くべき歴史について、一緒にたどってみましょう。
建立決定から完成までの長い道のり
1930年、今から80年以上も前に、「津田先生記念事業」のための資金募集が、同窓会で決議されます。この事業は、1929年に津田梅子が亡くなった後、キリスト教精神を基調とする建学の志を引き継ぐ形で始められました。また同じく1930年には、同窓会総会にて、資金を用いて礼拝堂(チャペル)を建てることが決定しました。
しかしその後、1939年に勃発した第二次世界大戦、そして貨幣価値の変動の影響で、事業は苦難の道を歩みます。
やっと事業が再開されたのは、チャペル建立決定から23年後の、1962年。第17回卒業生である岡島キヨ氏(以下『岡島氏』)より、思いがけない3万ドルもの寄付があったのです。
岡島氏は本学チャペルの他に、キリスト教会、ニューヨーク日本人会、仏教会、ジャパンソサイアティー等の各種団体へ、日頃から慈善活動として多額の寄付をされていたそうです。そんな多くの寄付を行う中でも、岡島氏はつつましく生活していらっしゃったそうで、同窓生が記す文献には「派手にならないように質素にとの津田先生のお教えを地で行くようなお姿。」と書かれています。
そして1964年、東京オリンピック開催と同じ年、ついにチャペルが完成。この年は津田梅子の生誕百周年でもありました。5月9日にはチャペル献堂式が華やかに行われ、この日のためにニューヨークから帰国した岡島氏をはじめ、東京在住の卒業生や同窓会の関係者が多く集まり、チャペル建立の喜びをともにわかちあったそうです。
2000年にはチャペルに増築する形で交流館が建てられ、現在のように交流館とチャペルが一つの建物となりました。
つまり、交流館の中にチャペルを建てたのではなく、チャペルが元となって交流館が建てられたのです。
チャペルの今を見つめて
長い年月を経て建立された岡島記念チャペル。第二次世界大戦前後の計画だったということもあり、完成までの過程に多くの人の苦労が窺えます。また、津田塾大学の歴史の長さを改めて感じるとともに、チャペルをもっと身近なものに感じられたのではないでしょうか。
現在は主に木曜礼拝(毎週木曜日12:25-12:50)のために使用されていますが、建立当初は結婚式が挙げられたこともあったそうです。チャペルの責任者の方によると、木曜礼拝への出席は、在学生はもちろんのこと、卒業生や地域の方も大歓迎とのことでした。
記者も執筆にあたり出席してきましたが、パイプオルガンの美しい音色に合わせて聖歌を歌ったりと、心がほっこりあたたかくなる、そんなひとときを過ごすことができました。
せっかく与えられているこの機会、チャペルを訪れ、津田梅子が大切にしたキリスト教精神に触れてみるのも良いかもしれません。
参考文献
『津田塾たより 第14巻-第19巻』、『津田塾たより 第20巻-第31巻』、『津田塾たより 第37巻-第43巻』
(いずれも津田塾大学同窓会)
『未知への勇気 受け継がれる津田スピリット』(2000,津田塾大学創立100周年記念誌出版委員会編, 津田塾大学同窓会)
協力
津田梅子記念交流館、津田梅子資料室、津田塾大学総務課
※チャペル献堂式に関する貴重な写真は、津田塾大学同窓会の『津田塾たより』に掲載されており、同窓会のご好意で転載の許可をいただいたものです。著作権は同窓会にあり、無断転載は禁止されています。