梅いち凛 ~咲いた津田塾生~
研究と起業からジェンダー課題に取り組む卒業生−江連千佳さん−
「変革を担う、女性の育成」を掲げる津田塾大学。学部卒業後は8〜9割の学生が就職し、さまざまな場面で社会へ貢献しています。その一方、就職以外の選択肢に踏み出しづらいと感じる人もいるかと思います。
そこで、今回の「梅いち凛」では、大学院での研究と会社経営の2つの側面からジェンダー課題に取り組む、総合政策学部出身の江連千佳さんにインタビューしました。彼女を動かしたのは、学部時代のどんな経験だったのでしょうか。なぜ、研究と起業の両立を選んだのでしょうか。理論と実践の間からリーダーシップを発揮する彼女の姿を見て、新たな視点が生まれるかもしれません。
津田塾大学総合政策学部に入学した経緯を教えてください。
高校は進学校で、とにかく偏差値の高い大学に進学することがよいとされる雰囲気がありましたが、高校2年生で留学したニュージーランドでのキャリアの授業で「やりたいことを逆算して大学を選ぶこと」「大学へ行かない選択肢もある」と知り、帰国後は、なぜ大学へ進学するのだろう? と考えていました。
そうして、偏差値の高い大学を順に受けていくのではなく、やりたいことで選ぼうと思うようになり、高校3年生の夏頃に志望校を見直し始めました。すでに、ジェンダーを勉強したいと決めていたので、ジェンダーに関する授業や専門の先生がいる大学を探しました。
加えて、苦手だった数学が高校2年生の終わり頃から楽しくなり、プログラミングにも強い興味をもつようになりました。ただ、文系を選んでいたため、その道を諦めかけていました。
津田塾大学を知ったきっかけは高校の先生から勧められたことで、Webサイトを見て当時新設の総合政策学部のことを知りました。ジェンダーの授業が開講されていて、統計学やプログラミングもゼロから学ぶことができる、文系でも受験ができることを知り、津田塾大学が第一志望になりました。
ジェンダーについて研究したいという思いは、何がきっかけでしたか?
高校2年生のニュージーランド留学で、たまたま当時のニュージーランドの首相が在任中に産前産後休暇をとりました。「首相が出産して仕事を休む」ということが日本でできるとは思えなくて、「日本は女性が自分の人生を歩みながら、好きなキャリアを選ぶということができない社会なのかも」とジェンダーギャップを感じたことで、「日本のジェンダーギャップに少しでも向き合いたい」と思いました。
実際に、総合政策学部での学びはどうでしたか?
実践的な授業がとても多かったのが印象的です。理論を学ぶだけでなく、実際にフィールドワークに出たり、行政や企業から提供されたデータを使って分析し、その会社や自治体の方に提案したりするような「生もの」感のある授業でした。
特に、データ・サイエンス、統計、プログラミングで、ただの文字の羅列から数式を組むことで何かを発見することがとても楽しかったです。大学に入学する前からの「理系的なことをやってみたい」という感覚を大切にしてよかったと思いますし、今の研究でもプログラミングや統計を扱っているので、あの時の授業がなければ、今の自分の研究はないと思います。
また、PresentationやNegotiationの授業がすごく役に立っていると感じます。プレゼンテーションの基礎から、交渉術、コミュニケーションまで、すべて英語で体系的に学びました。卒業後も、生きていくうえで人とのコミュニケーションは不可欠ですし、学会発表やビジネスのピッチでも褒めていただくことが多いのですが、それも津田塾大学でしっかり鍛えてもらったからだと思っています。
江連さんが起業しようと思った経緯について教えてください。
ビジネスコンテストには高校生の頃から出場していて、賞を獲得していたので、私は売れそうなアイディアを出すことは得意だと思っていました。しかし、ビジネスコンテストはアイディアを発表する仮想空間であり、実際に物を売ることはできません。リアルに物を売るということは、高校生で留学した際にEnterpriseという授業で体験していたものの、いつか自分の考えを商品にできたら楽しそうだなと思っていました。
起業した大きなきっかけは、大学2年次に進級したタイミングで始まったコロナ禍です。大学が再開しても友達に会えない状況が続きました。津田塾大学は少人数で教員との距離が近いのが魅力で、友達と協力しながら夜まで残って課題をやって、新宿でラーメンを食べて帰るような日常だったのに、オンライン授業でそれができない日々でした。課題も前ほど大変ではなくなって、みんなで勉強にコミットする雰囲気もなくなっていたことで、大学の楽しさが半減したようでした。大学2年次が終わったタイミングで休学しました。
休学して時間に余裕ができたことで起業のアイディアが思い浮かんで、東京都が支援しているビジネスコンテストに挑戦することにしました。アイディアはたまたま思いついたものでしたが、さまざまな方にヒアリングして、クラウドファンディングで支援が集まることで、最終的に会社を立ち上げることができました。
大学生であり、かつ起業家として会社を経営する中で、活動の原動力はなんでしたか?当時の苦難や心境について教えてください。
私は、「未知のことをやってみたい、トライしたい」という欲求が人より強いです。誰も発見したことがないものを見つけたい、というのが研究の動機だと思います。ビジネスをやっているのも、世の中にない物を作ってみたいという動機があったからだと思います。自分の手で何かを作って、それを売ることに対して、自分の力でできるという楽しさ、ワクワクする気持ちは、一番大きな原動力でした。お客様から嬉しい声をいただいたことも、ビジネスを続ける力になりました。
困難だったのは、学生という立場でプロダクトの生産先を見つけることです。100件ほど電話やメールをして、唯一引き受けてくださったのが、千駄ヶ谷にある工房でした。企画書を持っていき、クラウドファンディングに成功したことで、私の活動を本気だと受け取っていただけて、製作を引き受けてくださりました。布やボタンの選び方、ゴムのオーダーの仕方など、繊維のことについて一から丁寧に教えてくださりました。
総合政策学部では、先生方が地域と密接にコミュニケーションをとってくださっているのを知っていました。キャンパスが千駄ケ谷駅前にあって、地域に根付いていたことで、私が津田塾大学の学生だからと話を聞いてもらえたことは、とてもラッキーだったと思います。
学部生時代、多くの人を巻き込んだ活動を行ってきたと思いますが、そこからどのような学びを得ることができましたか?
起業を通じてチームで動くことが多かったのですが、もともとチームで取り組むのが得意なタイプではありませんでした。どうやって人に動いてもらうか、自分が思い描いた物を一緒に作ってもらうにはどうすればいいか、チーム外の人の協力をどう得るかを考えることは、本当に難しかったです。
その中で学んだのは、「人を動かそう、変えよう」という発想自体が無理だということです。誰かをコントロールすることは絶対にできない、それよりも、その人自身が何を信じているのかを理解して、それを一緒に信じられるかどうかが大事なのだと思うようになりました。
自分と相手の境界を見極めることも大事だと思っています。自分と相手が心地よく仕事ができる条件は何かを認識していないと、無理に仕事を引き受けた時に、自分だけではなく、相手からの期待値も調整できず、お互い嫌な気持ちになってしまいます。お互いを尊敬できるようになるために、いろいろな人との関係性を作っていく中で、何度も勉強し直しています。
津田塾大学卒業後の大学院進学の理由や、東京大学大学院情報学環・学際情報学府を選択した決め手は何でしたか?
大学院に進みたいという思いは、実は高校生の頃からありました。現代文の先生が修士課程を修了された方で、研究の面白さを教えてくれたのがきっかけです。小さい頃から本が好きで、本を作るような、新しい発見を書く仕事に憧れていました。
総合政策学部に入学する前に千駄ヶ谷キャンパスのイベントに参加した際、オックスフォード大学にいらっしゃった教育学の先生が、「大学で勉強するということは、膨大な本の中の新しい1ページを作ることだ」とおっしゃっていて、自分もそのくらい深く勉強したいと強く思いました。
卒業論文を書いてみてとても楽しかったことも後押しになりましたし、それも学部時代の指導教員の鈴木貴久先生が自由にやらせてくださったおかげだと思います。
東京大学を選んだのは、今の指導教員がたまたま東京大学にいらっしゃったからです。津田塾大学の総合政策学部には学びの連続性がある修士課程・博士課程がないので、外部の大学院に進む必要がありましたが、同じく大学院を目指す友達と支え合いながら頑張りました。
よく、「社会人経験を積んでから大学院へ進んだ方がいい」と聞いていたので、学部卒業後にストレートで行かなくてもいいかなと思っていましたが、学部時代に起業して社会人経験を積んでいたので、このまま進学しても十分学べるだろうと考えました。今はフェムテック※の批判的研究をしていますが、大学時代にフェムテック業界にいたからこそ、その業界にはどんな人が、どんな思いで働いていて、なぜこの状況になったかが手に取るようにわかります。もし、わからない状況で研究していたら、そこにいる人たちを、単なるデータとしてみていたかもしれません。なるべく手触りのある言葉で研究したものを社会に還元したいと思っていました。
※フェムテックとは、Female(女性)+Technology(技術)の造語で、女性特有の健康課題をテクノロジーで解決する製品やサービスのこと。
津田塾大学卒業後から現在まで取り組んでいらっしゃること、今後の展望があれば、教えてください。
卒業後、学部時代に起業した事業を売却し、修士課程に進学しました。修士課程ではあらためて別の事業を立ち上げ、経営にも取り組んでいます。修士論文は優秀修士論文としての評価をいただき、そこから続くテーマをさらに深めています。
研究者としては、津田塾大学で学んだ統計学の知識と、大学院で学んだフェムニズムやジェンダーの理論を結びつけていくこと、その接点を探っていくような研究をしたいと考えています。
また、科学技術とジェンダーの交わりにも強い関心があります。科学技術の進歩によって、むしろジェンダーギャップが加速してしまう側面もあるのではないかと考えていて、なぜそうなるのかを研究で明らかにしたいです。そして、ただ机の上で議論するだけではなく、実践することも大事にしたいと思っています。だからこそ、経営者としては、研究で明らかにした課題の解決に携わり、実践者としても取り組んでいきたいです。
津田塾大学の学生に向けて、メッセージをお願いいたします。
在学中は本当に見守ってもらっていたなという感覚があり、今でも津田塾大学の先生方に応援していただいていると感じます。指導教員だった鈴木貴久先生にはいまだに論文を見ていただいていて、こうしたつながりが続いているのはとても嬉しいです。
今はすごく一貫性が求められている時代なので、冒険することが怖くなる時があります。「研究者なのに会社を経営していいのか?会社を経営しているのに研究をしている時間はあるのか?」と思ったり、「研究者なら、起業家ならこういうストーリーで生きていくのがよい」みたいなものに縛られる時があったりします。自分も何か物語の一部にならなきゃ、って思ってしまいがちなんですけれども、綺麗な物語を作ろうとしなくてもいいのだと思います。自分のしていることが、最初から一貫したキャリアや肩書きとして説明できなくてもいい。むしろ、まだ言葉にならない違和感や、複数の関心のあいだで揺れている時間の中にこそ、その人にしかもてない問いが生まれることもあります。
大学にいる時間は、そうした未整理のままの関心を、少しずつ試し、結びつけていける時間でもあります。授業、先生、友人、図書館、研究室、偶然の出会いなど、大学の中には、自分の問いを育てるためのリソースがたくさんあります。在学中は、急いで自分を一つの物語にまとめようとするよりも、それらをしっかりかき集めながら、未完成のままを楽しみながら探索していくことが大事なのではないでしょうか。












